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雨と虹の日々 36 猫が嫌い

36 猫が嫌い

 俺は猫が嫌いだ。
 馬のように長時間走ることもできない。犬のように泳ぐこともできない。熊のような力もなければ、猿のような器用さもない。猫とは、なぜこれほど無能にできているのだろう。
 箱や袋を見つければ、何でもかんでも覗きこみ、ちょろちょろ動く物を見つければ、何でもかんでも飛びかかる。こんな無意味な行動を取る哺乳類が他にいるだろうか。いる。人間がいる。
 限りある貴重な時間を、有効利用しようなんて考えることすらせず、一日の大半を寝て過ごし、ただただ無益な存在として一生を終える。猫ってのは、もしかすると人間にも劣る動物なのかもしれない。いや、いくらなんでもそれは言いすぎだ。
 とにかく、猫なんてものは、ろくでもない生き物であることは確かだ。その間抜けっぷりときたら、人間の次ぐらいってとこだろう。
 それにしても、腹が減った。
 ついさっき捕まえ損ねたスズメは、もうどこか見えないところまで飛んでいっちまった。あの余裕のある逃げっぷり。まるで、俺のことを嘲笑っているかのように見えた。もしくは、老いぼれ猫に対する憐れみの態度だったのかもしれない。
 歩き疲れていたから。もう若くないから。特別運動神経の優れたスズメだったから。そんなもの、全部言いわけだ。狩りに失敗した理由はただ一つ、俺が猫だったからだ。寝ることしか能のない役立たずの猫だったからだ。おそらく動物図鑑には、人間と一緒に紹介されてるんだろうぜ。もちろん、おっちょこちょいな動物たちのページにだ。
 視線の先に、小さな公園が見える。
 一瞬だけ、虹子と散歩した公園を思い出したが、もちろんそうではない。馬鹿な動物による、馬鹿な勘違いである。公園なんてものは、どこも同じようなものなのだ。猫がみな間抜けなのと同じことさ。
 結局俺の足は、人間たちの集まる場所へと向かっていたことになる。知らず知らず人間たちにすり寄っていたのだ。驚愕すべきことだが、事実として認めるほかない。あれほど軽蔑していたというのに、俺はその人間の力をどこかで必要としていたのだ。
 公園内に入ると、俺はさっそく行動を開始した。食い物探しである。生き抜くためには、みっともないからと躊躇してる場合ではないのだ。幸か不幸か、人の数はそう多くない。邪魔される可能性が少ない代わりに、人の食い残しを見つける可能性も少ないだろう。
 ベンチの近くに、何か白っぽい物が見える。背広姿の中年男が、一人ボウッと間抜け面して座っているが、構わず俺は歩を進めた。
 思った通り、スナック菓子の袋だった。うれしいことに、中身も少し残っている。ゴミをくず入れに捨てなかったマナー違反の人間に、今は感謝の言葉を捧げたい気分だぜ。
「それ、俺が買ったやつなんだ」
 ベンチの男が、何か独り言を呟いている。俺との距離は二メートルってとこだろう。しかも、相手はいかにも鈍重そうなしょぼくれた男だ。特に慌てて逃げる必要はないだろう。
「大事に食べてくれよ」
 チラリとそちらをうかがってみた。男と目が合う。どうやら、俺に話しかけているらしい。男はちょっとだけ笑顔になり、「最後の金で買った物なんだ」と、恩着せがましく続けた。
「ニャ」
 この程度の物に対しては、この程度の感謝の言葉でいいだろうぜ。
「コンソメ味、お前も好きか?」
 なおも、男はぶつぶつとしゃべり続けている。
 俺は、袋の奥へ前足を突っこみ、まだ少しだけ残っているスナックの欠片をかき出した。今の俺にとって重要なのは、生命を維持するのに必要な栄養源だ。コンソメだろうが、カレーだろうが、味付けなんてものはどうでもいいのさ。いや、きゅうり味だけは困る。
「ああ、最後の晩餐は、猫と一緒ってわけか」
 男が言うところの、最後の晩餐ってやつを済ませると、俺はベンチの上、このよくしゃべる男の隣へと飛び乗った。
「おっ、猫君、俺の話を聞いてくれるのかい?」
 太陽の熱で、予想通りベンチは暖かくなっていた。しばらく睡眠を取っていなかったせいだろうか。それとも、男の話があまりにもつまらなかったせいだろうか。身体を横にするとすぐに眠気が襲ってきた。
「俺みたいな、落ちぶれた男の話を聞きたいだなんて、君もずいぶんと物好きだな」
 まあ、好きに解釈すればいいさ。
「いろいろ考えた結果、首を吊ることに決めたんだ。他の手段もあるんだろうけど、たとえば、ビルの屋上から飛び降りた場合、下にいる誰かを巻きこんでしまうって可能性があるだろう。ガス自殺もそうだ。それから、道路や線路に飛びこむっていうのも、結構いろんな人の迷惑になる。俺、そういうのだけは嫌なんだよ。死んだ後になってまで、人に批判されるかもしれないだなんて……」
 悪いけど、こっちはこっちで一眠りさせてもらうぜ。さっきからあくびが出てどうしようもないんだ。後は一人で、勝手にしゃべりたいだけしゃべっていてくれ。
「会社から首を切られたことだし、やっぱり俺には、首吊りが一番よく似合ってるような気がする。でもなあ……。本当はそんなことどうでもいいんだけどね。生きる意味がないから死ぬ。ただそれだけのことなんだから。死に方なんてどうでもいいはず。でもなあ……」
 要は、臆病風に吹かれちまったってわけだな。そういう肝っ玉の小さいあたりが、実に人間らしい。俺たち猫よりも下に、もっと無能な動物がいるんだと知って、おかげで一安心ってところだぜ。
「猫の君にはわからないだろうね。我が子を亡くした親の気持ちってもんがさあ。我が子を守ってあげられなかった親の気持ちってもんがさあ。そもそも、あんなおかしな宗教に入ったのだって、親である俺が頼りなさすぎたせいなんだ。俺がもっとしっかりとさえしていれば、息子はまだ……」
 男が鼻をすすり出した。子守歌代わりのBGMとしては最悪である。おまけに、空も急に暗くなり始めてきている。男の目からも、雨雲からも、今やいつ水滴が落っこちてきても不思議じゃない状況だ。
「息子は、生まれ変われることを信じていたらしいんだ。そこで、理想の家族に迎えられ、永遠の命と、永遠の幸福を手にできる。そう教えこまれていたんだ、あの頭のおかしな教祖にね。でもなあ……。結局それも、俺のせいなんだろうなあ。理想的な家族とは程遠かったからね。死んだ先に、そんな素晴らしい世界があるってことなら、息子の気持ちもわからないでもないなあ」
 予想通り、ポツリポツリと降り出してきた。男の目からも、雨雲からもである。
「お、俺の死んだ先には、いったい何が待ってるんだろう。もしかして、そこで息子と再会できるのかもしれないな。そしたら、今度こそそこで……。あ、雨か……」
 そう、雨だ。俺の大嫌いな雨だ。
「こんなタイミングで降るなんて、ただの雨とは思えない」
 いや、ただの雨だ。まぎれもない自然現象だ。
「こ、これは、きっと息子の涙だ。もしかすると、俺の自殺を止めようとしているのかもしれない。ああ、そうだったのか。逃げちゃ駄目ってことだな。息子の分まで生きなきゃいけないってことなんだな。そうか。わかったよ」
 すっくと立ち上がると、男はゆっくりとベンチから離れて行った。今までとは見違えるような、力強い足取りだった。途中で一度振り返り、「猫君、ありがとう」と笑顔で一言。そして、またどこかへと向って歩き去って行った。
 まあ、好きに解釈すればいいさ。
 雨は本降りとなり、俺はとりあえずベンチの下に避難することにした。公園には、もう誰の姿もない。ろくでもない老いぼれ猫が一匹いるだけだ。
 雨とは、こんなにも冷たいものだっただろうか。空腹とは、こんなにも辛いものだっただろうか。何てことはない。結局、それだけ俺が歳を食っちまったってことなんだろう。
 野性の勘を取り戻すには、かなりの時間が必要だ。当然俺にそんな時間は残されていないことはわかっている。あとは待つだけのことさ。死に急ぐことも、生にしがみつくことも必要ない。黙っていたって、最後の瞬間は近いうちに必ず訪れるのだから。
 思えば、車にはねられて、一度死にかけたことがあった。あの日も、ちょうどこんな激しい雨が降っていたっけ。今では、何か遠い昔の出来事だったような気がする。
 虹子は、今頃どうしてるだろう。
 俺の取った行動を、彼女は正しく理解できているのだろうか。俺は幸助なんかじゃなく、ただの老いぼれた黒猫。だからこそ、あの時逃げ出したのだ。これ以上くだらない芝居を続けることも、これ以上くだらない希望を抱かせることも、虹子を幸せにすることには繋がらない。だからこそ、俺は姿を消したのだ。
 生きる意味。
 さっきの男が、確かそんなことを言っていたっけ。俺にはとうてい理解できないが、どうやら人間にとっては重要なことらしい。たとえ衣食住揃っていようと、そいつなしには生きられないってことのようだ。まったく、他の動物たちが聞いたらあきれちまうような話だぜ。
 しかし、それが人間の性質である以上、きっと彼ら自身どうすることもできないでいるのかもしれない。欲張りと非難すべきか。その七面倒くさい性質に同情すべきか。人間ってのは、本当に不可解な生き物だ。
 虹子の生きる意味ってのは、いったいどういうものなのだろう。
 もしも、幸助の存在が唯一の答えだとすれば、彼女には、もう生きる意味がないってことになる。俺がその意味を奪ったってことにもなる。
 それに代わるような何かを、虹子は見つけ出すことができるだろうか。いや、絶対に見つけ出してもらわなければいけない。そのために、俺は彼女の素を離れたのだから。
 音楽はどうだろう。虹子にとって、あれは生きる意味になりうるだろうか。バンドのメンバーだって、彼女を必要としていた。そう、あの意地悪な麗子さえそうだったのだ。音楽は、きっと生きる力になってくれるはず。きっと幸助のことを忘れられるはず……。いや、駄目だ。そもそも、バンドに入ったきっかけが幸助だったのだ。忘れられるどころか、まったくの逆効果になる可能性があるではないか。
 それにしても、虹子の父親は、いったい何をやってんだ。人間ってのは、家族単位で群れを作る動物のはずだ。総理大臣なんてろくでもない仕事、とっととやめちまえってんだ。もしも、虹子に何かあったら、俺は絶対に許さないぜ。その面にションベンひっかけられるだけで済むと思うな。この動物界一のアンポンタン野郎め。
 駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。
 こうして、考えれば考えるほど、良からぬことばかりが頭に浮かんできちまう。
 虹子は、あの村へ戻って、俺と一緒に死ぬつもりだったのかもしれない。きっとそうだ。一度死んでも、すぐにまた蘇るだなんて馬鹿なことを信じていたぐらいなのだから。
 俺がいなくなったことで、彼女が正気に戻ってくれる保証などどこにもない。むしろ、死を速めることになるのかもしれないのだ。いや、もう手遅れになっているのかも。すでに、虹子は……。
 気がつくと、俺はベンチを飛び出していた。
 雨はいまだに止む気配を見せない。こいつが降っている日には、何か不吉なことが起きる。それはわかっていたはずだ。わかっていながら、俺は今までのんきに雨宿りをしていたのだ。俺って猫は、本物の大馬鹿野郎だぜ。身体が濡れるぐらいなんだってんだ。俺は虹子に命を救われたのだ。
 こんな俺に、もしも生きる意味ってものがあるとすれば、それはただ一つ。
 虹子の無事を確認し、彼女のその笑顔を、一目、そう、一目だけでいいから見届けることだ。虹子に会いたい。もう一度虹子に会いたい。

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次回、いよいよ最終章です。

37 虹が嫌い
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札幌在住のアマチュア作家

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