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不倫のライセンス 31 夢の続き

31 夢の続き

 ゴングは鳴らされた。
 リングの中央へと、私はおずおずと歩を進める。あたりを見渡すと、そこには大勢の観客。私の手にはボクシンググローブ。私の足にはボクシングシューズ。これだけ条件が揃っていれば、ボクシングをやらないわけにはいかない。
 戸惑いつつも、とりあえずファイティングポーズを取ってみた。すると、私の顔面めがけて、いきなり激しいパンチの雨が降ってきた。慌ててガードを挙げ、ディフェンスの体勢を取る。
 攻撃をブロックした右手で、素早く一度リターンパンチを繰り出す。当たりはしなかった。しかし、そこに相手との距離が生まれた。
「あ、麻美、ちゃん……」
 ようやく確認できた対戦相手が、生田麻美だと知り、私の頭はさらに混乱した。
「どうして、あなたと、た、戦わなきゃいけないの?」
「どうしてって、セシルさんの、そのチャンピオンベルトが欲しいからに決まってるじゃないですか」
 麻美に言われ、私はチラリと自分の腹部へと目をやった。そこには、確かに大きなベルトらしきものがしっかりと巻かれている。これって、普通は試合中外しておくものではなかっただろうか。しかも、このデザインがひどい。黄金に輝くベルトの中央で、杉本敏明が満面の笑みを浮かべているではないか。
『グレートセシル。どうやらチャンピオンベルトを外し忘れていたようです』
 実況アナウンサーが、何か余計なことを口走っている。しかも、私のリングネームが、ベルトのデザインに負けないぐらいに恥ずかしい。
「そのベルト、いただきます!」
 再び麻美のパンチが飛んできた。そのタイミングに合わせ、私も右ストレートを返す。交差する二つのグローブ。
「こんな恥ずかしいベルト、あなたにあげるわよ!」
 リーチの差だろうか。私のパンチだけが、カウンターで麻美の顔面をとらえていた。
『デビル麻美、たまらずダウン!』
 興奮状態の実況アナウンサー。リングの中央で倒れている生田麻美。そして、呆然と立ちつくすだけの私。
「ワン、ツー、スリー……」
 レフェリーのカウントが始まった。どこかで聞いたことのあるような声。慌ててその顔を確認する。
「と、敏明さん……。何やってるのよ、こんなところで」
 夫だった。
「レフェリーに決まってるだろ。どちらが俺の妻にふさわしいか、今それを見極めているところじゃないか」
「こんなベルトなんて、いらないったら」
「何を馬鹿なこと言ってるんだ。五年間守り続けてきたベルトじゃないか。たくさんの女たちが、それを欲しがってるんだぞ。お前には、そのベルトの価値がわからないのか?」
「そうですよ、セシルさん」
 セコンドから声がかかる。場違いな雰囲気の可愛らしい声である。そちらを振り返ると、なぜかそこには畑中泉美の姿。手に持ったタオルを、グルグルと振り回しているのは、たぶん応援のつもりなのだろう。
「ダーリンには内緒なんですけど、本当は私も、敏明さんみたいな頭のいい男性と結婚したかったんです。これ、ダーリンには絶対言っちゃ駄目ですからね」
「だからあ、こんなのあげるってば……。そ、そうだ。そのタオル投げて、早くこんな試合止めて」
「それだけは無理です。この、うさちゃんがプリントされたタオル、私の宝物なんだもん」
「そんなのどうでもいいから、誰か、試合を止め……」
 後頭部への衝撃が、私の訴えを中断させた。
『ミセスXの強烈なパンチが、チャンピオンを襲った! おっと、ダウンか。ダウンです。グレートセシル、ダウンです!』
 実況通り、私は頭を抱えたまま、その場にうずくまっていた。視界がぼやけていく。それでもどうにか、相手選手を確認することだけはできた。
「だ、誰なの、あなたは……」
 見上げる私の視線の先には、謎の覆面ボクサーの姿。いつの間にか、生田麻美と入れ替わっていたらしい。ただし、その瞳の鋭さを見る限り、私に対する敵意は麻美以上にも思える。
「スリー、フォー、ファイブ……」
「れ、礼治……。何やってるのよ、こんなところで……。いや、やっぱり答えなくていい。どうせ、レフェリーやってるに決まってるとか、そういうつまらないこと言うつもりなんでしょ」
「いいんスか? セシルさん、シックスっスよ。ほらほら、次はセブンっスよ」
 レフェリー姿の成宮礼治が、急き立てるような口調でカウントを続ける。私の戸惑いなどお構いなしだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ。いいわけないじゃない。今の後頭部へのパンチ、これって反則でしょ?」
「妻には逆らえないっス」
「駄目よ。言うべきことは、ちゃんと言わないと」
「セシルさんが、先っス」
「う、うん。それはわかってる。私も離婚するから、礼治も、ちゃんと……」
「エイト。もう、エイトっスよ」
「そんなに急がせないでよ。時間なら、まだたくさんあるでしょ」
「ナインっス」
『時間は、もうないんだそうです』
 実況アナウンサーが、また余計なことを口走っている。
 間もなくして、私の敗北を告げるゴングが、けたたましく打ち鳴らされた。
『グレートセシル、まったくいいところなしに負けてしまいました。これで、チャンピオンベルトを失い、夫からも、不倫相手からも見捨てられることでしょう。すべてを失ってしまったのです。もう、目も当てられません。悲惨です。いったい、敗因は何だったのでしょう。酒に溺れたせいでしょうか。決断を先送りにしたせいでしょうか。それにしてもみじめな姿です。自業自得とはこのことでしょう。誰一人として、同情する者はいません。いい気味です。ざまあみろです。それでは、いったんCMをどうぞ』
 試合会場の音が、少しずつ遠ざかっていく。なおも意識は朦朧としていたが、誰かの背に負ぶさっていることだけはわかる。この大きな背中は、いったい誰のものだろう。この騒がしい場所から、私を連れ出そうとしてくれている、頼り甲斐のあるこの大きな身体の持ち主は。
「私、グレートセシルという者なんですけど、あなたは?」
 相手の肩に頭を乗せたままの姿勢で、私はそっと尋ねてみた。
「馬鹿野郎。お前は、グレートセシルなんかじゃねえよ。ただのセシルだ」
 返ってきたのは智美の声だった。乱暴だが、温かみのある智美の声だった。
「ト、トモ……」
「なに泣いてんだよ」
「私、も、もう、疲れちゃった……。変な名前で呼ばれたり、変なベルト巻かれたり……。いや、そうじゃないの。それぐらいはどうってことない。もう、誰かと争うのが嫌なの。私のせいで、誰かが傷ついたり、誰かに憎まれたりするのが嫌なの。もう、疲れちゃった」
「セシル、どうしたんだよ。お前、小さい頃は、人前で涙なんて見せない子だったじゃねえか。同級生にいじめられたって、親が離婚したって、どんなことがあろうと、歯を食いしばってじっと耐えてきてただろ」
「私、このまま町に残ろうかなあ。トモ、どう思う?」
「無理だ」
「え? 何よそれ。冷たすぎるよ。いつものトモらしくな……」
「そんな膨らんだお腹じゃ、無理だって言ってんだよ。もう手遅れだ」
「ふ、膨らんだ、お腹?」
 次の瞬間、私は悲鳴をあげていた。

 気がつくと、そこはベッドの上。パジャマが、冷や汗でひどく湿っている。夢の中だけではなく、実際に声を出していたのかもしれない。自ら発した悲鳴が、耳にかすかな余韻として残っていた。
 私の両手は、しっかりと腹部に置かれている。夢の続き、そのものの姿勢だ。それはまるで、何かを確認するかのようでもあり、何かを守るかのようでもあった。

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32 自分の居場所
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Author:片瀬みこと
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