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雨と虹の日々 35 希望が嫌い

35 希望が嫌い

 俺は希望が嫌いだ。
 目の前の現実を素直に受け入れられないとき、人は想像力を駆使して、おのれの貧弱なハートに魔法をかける。そいつが、希望ってやつさ。
 確かに、一時の安らぎは得られるかもしれない。ただ、それだけである。そんな中途半端な魔法は、すぐに解けちまう。後に残るのは、決まって失望だけだ。あるいは絶望かもしれない。希望が大きければ大きいほど、それを失った時のショックも、馬鹿でかいものになるということに、人はいつになったら気がつくんだろう。
「もう、私を引き止めておく理由はないはずです」
 虹子はため息混じりに言った。
「あと、もう少しだけ」と、落ち着きのない態度の横井。
「もう一杯、お紅茶いかが?」と、のんびりとした態度の横井の妻。
 こんなやり取りが、もう一時間近く続いていた。
 虹子が座るソファーの横には、すでに彼女と俺の荷物がまとめられている。車一台用意してくれさえすれば、あとはもう虹子のマンションへ直行するだけだ。老夫婦には悪いが、こんなやり取りに何の意味もない。早いとこ、そのことに気づいてもらいたいもんだぜ。
「安心してください。車は用意します。ちゃんとした運転手も……」
 横井は、なおも時間稼ぎを続けている。
「それは、さっきも聞きました」
「ああ、そうでしたね。そ、それから、伯父さんのことですが……」
「それもさっき。今入院してるんでしたよね。きっと肝臓を悪くしたんでしょう。しばらくは安心ですね。いろいろと貴重な情報ありがとうございます。ここまでしてくれたらもう十分です」
 俺の身体の下で、虹子の膝が少しだけ持ち上がった。すると横井が慌てて、「もうちょっと、もうちょっとだけ」とすぐさま引き止めに入る。「ココアだったらどうかしら?」と妻も続く。
 横井夫妻が、なぜこうまでして虹子を引き止めようとしているのか。俺にはちゃんとわかっていた。総理大臣がやって来てくれるかもしれない。虹子の父親が、彼女を迎えに来てくれるかもしれない。すべては、そんな希望を抱いてのことなのだ。
 それから二時間が過ぎ、俺と虹子は、ようやく横井の家を後にすることとなった。もちろん、総理大臣の姿を見ることなくである。希望ってのは、いつだってそんなものなのさ。遠くの父親より、近くの黒猫。しょせん虹子を守ってあげられるのは、この俺だけってことなんだろうぜ。

 マンションの部屋に戻ると、虹子はうんざりとしたため息を漏らした。いくつものダンボール箱と、いくつものゴミ袋に出迎えられたせいなのだろう。片付け切れなかった過去の残骸ってやつさ。目の前の現実は、ため息一つじゃどうにもならないぜ。
 ちなみに俺は、こういう状態が嫌いではない。むしろ大好きだ。これも猫であるがゆえなのか。身体の奥底から、抑えきれない興奮が次々と沸き起こってくる。ワクワク気分でダンボール箱を覗きこみ、ウキウキ気分でゴミ袋の感触を確かめ、そのついでにカーテンへ飛びつき、そのまたついでにカーペットに爪を立て、最終的には、積み重なったダンボール箱のてっぺんに駆け昇ったところで、ようやく身体の熱を冷ますことができた。
「レインは、元気だね」
 気がつくと、虹子がこちらを向いて笑っていた。
「私の代わりに、後片付けしてくれる?」
 そいつは無理だが、とりあえず、彼女の笑顔を取り戻すことには成功したようだ。
「掃除なんて、今日じゃなくたっていいよね」
「ニャーン」
「うん、わかった。レインがそんなに言うなら、今日は何もしないことにする」
 こういう時、猫と人とは、一瞬だけ気持ちを通わせることができるのである。
 しかし、今日は何もしない、という虹子の望みがかなうことはなかった。
 電話が数件、おそらくバンドメンバーなのだろう。虹子の口からは、ライブ、作詞、キーボード、練習、宝田さんってなんか変、などという言葉が頻繁に聞こえた。
 さっそく、荷物の中からノートパソコンを取り出し、何やら忙しそうに作業を始める。「あーあ、お腹空いた」だとか、「あーあ、しばらくプリン食べてないなあ」だとか、「宝田さんだけは、やっぱりよくわからない」などと、ぶつぶつ呟きながらも、虹子の表情はどこか楽しげだ。
 これで何もかも、元の生活に戻れる。元の虹子に戻ってくれる。俺にはそう思えた。急に眠気が襲ってきたのも、おそらくその安心感のせいだろう。カチャカチャというパソコンの音と、時折聞こえる虹子の鼻歌。そして、目を開きさえすれば、すぐにでも室内を一望することのできるダンボールのベッド。いい眠りにつくための条件は揃っている。あとはもう、とびっきりの夢を思う存分味わえばいいだけのことさ。

 どれぐらい眠っていただろうか。そう長い時間ではないはずだ。鳥の群れを見つけ、今からいよいよ狩りに入ろうと、体勢を整えたところで、夢の世界は唐突に幕を下ろしたのである。
 初めそれは、鳥の鳴き声のように思えた。しかしそうではなかった。瞼を開いた俺の視線の先には、眠る前と同じように、パソコンを前にした虹子の後姿がある。俺を夢から覚ました音は、実はそこから発せられていたのである。
「こ、幸助……」
 虹子は泣いていた。背中を小刻みに震わせ嗚咽していた。何度も何度もその名を口にしながら。
 俺はダンボール箱を駆け下り、虹子の素へと猛ダッシュした。
「幸助、やっぱり幸助なんだよね」
「ニャアーン」
「うん。そうだね。戻ろう。い、今すぐ、一緒に戻ろうよ」
「ニャアーン」
 虹子は、俺を抱きしめたまま立ち上がった。その時、一瞬だけパソコンの画面が目に入った。虹子が写った写真である。いや、虹子だけではない。彼女の隣には、見知らぬ男の姿もあった。
 もしかすると、彼がそうなのかもしれない。この先、俺が演じ続けなければいけない男。そう、彼こそが幸助に違いないのだ。

 三十分後には、早くもタクシーに載りこんでいた。
 虹子が行き先を告げると、「ええ?」という、運転手のやや戸惑った声が聞こえてきた。
「すいません。行けるところまででいいのでお願いします」
「ああ、それはかまいませんよ。ちょっと、聞き間違いかなと思っただけなので」
 キャリーバッグの中からでは、虹子の表情を確認することはできないが、声の調子からすると、少しは冷静さを取り戻したようにも思える。
 行き先の住所に聞き覚えはない。しかし、目指す場所といえば、あの村しかないはずだ。
「しばらく、そのまま我慢しててね」
 虹子がバッグへ顔を近づけたらしい。囁き声がすぐ真上から聞こえてくる。
「何か、急ぎの用みたいですね」
 穏やかそうな運転手の声。どうやら、このまま目的地まで直行できそうだ。あとは、このキャリーバッグの中でじっとさえしていればいいのだろう。先のことは到着してから考えればいい。俺は幸助として、どこまでも虹子の後について行くだけさ。
 運転手の男は、ずいぶんと話し好きらしく、前に働いていたという職場の話や、子供の頃飼っていたというペットの話や、昔やっていたという音楽の話などを、一人飽きもせずにしゃべり続けている。虹子の曖昧な反応など、あまり気にしてはいないようだ。
「タクシー乗る前は、水族館に勤めていたこともありましてね。サメやら、エイやら、マンボウやら……」
「はあ、そうなんですかあ」
「まだ小さかった頃、家で金魚飼ってたことありましてね。あれは、四十匹ぐらいはいたかな。もともと、お祭りの金魚すくいで……」
「はい、いいお話ですね」
「こう見えても、私、若い頃ギターやってたことありましてね。それが、ファイアーフィシュって名前のバンドでして……」
「へえ、ギターお好きなんですかあ」
 というより、きっと魚好きだ。この運転手、俺と気が合いそうである。
「それにしても、首相は何考えてるんですかね」
「え? しゅ、首相、ですか?」
「あれ、お客さん、ニュースまだ見てなかったんですか?」
「あ、はい」
「アメリカの大統領、怒らせたっていうやつですよ。何か、重要な電話会談を、ドタキャンしたとかで」
 運転手のため息。そして、「まったく、この国はどうなることやら」と、呆れたような呟きが続く。
「無責任なリーダー、無責任な国民、そんな国がどうなるかなんて、そんなこともうとっくに決まってる」
「え?」
 短く一言発しただけで、運転手の声は聞こえなくなった。戸惑っているのは明らかだ。もちろん、虹子の声音が急に変化したことが原因だろう。
「近いうち、みんな気づくことになる。まあ、気づいたときには、もう手遅れなんだけど……」
 何かに操られてでもいるかのような、そんな口調だった。
「日本だけじゃない。世界はやがて再生される。そして、選ばれた者だけが……。あ、幸助。ど、どうしたの? 駄目、おとなしくして」
 おとなしくしてなどいられなかった。キャリーバッグの中で、俺は力の限り暴れ、力の限り鳴き声を振り絞った。
「こ、幸助。もうちょっと、もうちょっとだから。選ばれたんだよ。わ、私たちは、選ばれた人間なんだよ。何も怖がらないでいいの、何も……」
「お客さん。バッグの中、ね、猫ですか? 猫が入ってるんですか?」
「い、いいからそのまま行って。料金なら倍、いや、三倍払うから」
「それは困りますよ。私、駄目なんですよ、猫。その鳴き声聞くだけで、冷や汗出てくるぐらいでして。昔飼ってた金魚だって、そいつらにやられたんだ」
「ち、違うの。幸助は、本当は違うの。ね、猫なんかじゃ……」
 そして、タクシーは止まった。
 俺の決死の抵抗が実を結んだのか。それとも、運転手の猫嫌いのおかげか。とにかくタクシーは止まった。
 ドアの開く音に続いて、俺の身体がバッグごと持ち上げられる。そして、タクシーはどこかへ走り去っていった。もちろん、俺と虹子を残してである。
 バッグが地面に置かれ、それからしばらくは、何事も起らなかった。人の話し声や、車が通る音も聞こえない。
「ああ、幸助、どうしちゃったの?」
 そんな言葉とともに、やがてゆっくりとバッグが開けられた。夜空が俺の頭上に広がっていく。困惑した虹子の表情も見える。
 チャンスは、今しかなかった。
「あっ、だ、駄目」
 俺は駆け出していた。抱き上げようと延ばした虹子の手をすり抜け、夜の闇へと全力で駆け出していた。
「ま、待って。どこに行くの? 待ってったら……」
 背後で虹子の叫び声が聞こえる。追いかけてくる足音もだ。
「幸助。駄目。も、戻って来て。幸助……」
 俺は振り返らなかった。振り返ることを、おのれに硬く禁じた。今は、ひたすら前に進み、ひたすら彼女との距離を離す。そのことだけを考えた。早く彼女の声が聞こえなくなること。それだけを願って走り続けた。
 虹子は間違っている。いや、それ以上に、この俺が間違っていたのだ。誰かが幸助の振りをする。誰かが幸助の復活を約束する。そんなものすべてでたらめだ。そして、そのでたらめの象徴が、この愚かで間抜けな黒猫だったってわけさ。

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No title

動きが出てきましたね。ワクワク。
虹子ちゃん、平静を取り戻したように思えたけど、やっぱり何か、違う。
PC画面に何を見たんでしょう。

レイン、なんとかできるでしょうか。
この運転手も、猫嫌いでよかった^^
普通なら、乗車拒否になっちゃうところだけど、今回はナイス。
ほんと、何処へ行こうとしてたんでしょう・・・。

Re: No title

limeさん、コメントありがとうございます。

> 虹子ちゃん、平静を取り戻したように思えたけど、やっぱり何か、違う。

虹色日記がないこともあって、虹子のこの揺れ動く心理を、どう表現すればいいのか、今回はかなり苦労しました。
あ、苦労したのは、今回に限らずでした。

> レイン、なんとかできるでしょうか。

何とかできるのか否か。何とかするべきなのか否か。
実はこれ、作品のテーマに関わる重要なポイントなんです。
これだけは、絶対に変更が許されないという部分です。
エンターテイメント小説に、果たしてテーマ性が必要か、という議論もありますけどね。

とにかく、残り2話。何とかゴールできそうなところまでたどり着きました。

プロフィール

片瀬みこと

Author:片瀬みこと
札幌在住のアマチュア作家

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