スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

不倫のライセンス 30 二つの影

30 二つの影

 <老いていく町(仮題)>の制作は順調に進んでいた。何より、絵を描けるということそれ自体が、私にとって大きな喜びだった。
 絵の具が乾くまでの時間を利用して、隣のキャンバスをそっと覗きこんでみる。父の現在制作中の絵が、先ほどから気になって仕方がない。
 はじめそれは、日没の絵だと思っていた。しかし違うらしい。ブルー系の絵の具ばかりが使われているところをみると、どうやら海に沈みゆくそれは、太陽ではなく地球のようなのである。
「何だか、絶望的な絵ね」
 素直な感想を口にしてみた。明るい希望が感じられない。父の作品にとってそれは、決して珍しいことではない。むしろ、非常に父らしい作品といえる。もう一つ父の特徴をあげるとするなら、それは完成までにかなりの時間がかかるということだ。
「それができたら、今度はあの絵、松葉杖の少女、あれ仕上げるんでしょ?」
「わからん」
「あれ完成したら、本当に私にくれるの?」
「やる」
「それって、いつぐらいになりそう?」
「わからん」
 相変わらず手応えのない父との会話。そういえば、初めて敏明のことを紹介し、あとでその印象を尋ねた時も、やはり父は“わからん”を連発していた。
 敏明さんって、頼りになりそうでしょ?
 わからん。
 ママは、気に入ってくれると思う?
 わからん。
 敏明さんとだったら、うまくやっていけそうな気がするんだけど、どうかな?
 わからん。
 あの時の私は、いったいどんな言葉を望んでいたのだろう。セシルには、素晴らしい未来が待っている。そう言ってほしかったのかもしれない。力強く、誰かにそれを保証してもらいたかったのだろう。未来のことなど、本当は誰にもわからないというのに。
 明日のことは何もわからん。うん。確かにこれは正論だ。
 そんな父に対して、敏明が口にした言葉。私は今でもそれをはっきりと思い出すことができる。
 必ず幸せにしますから、娘さんを僕にください。一般的にはそういう言い方が多いそうですが、私、それ大嫌いなんですよね。“幸せにする”といっても、何を持って幸福と感じるかは人それぞれ。自らの価値基準だけを頼りに、そんな無責任な約束をするわけにはいきません。しかも“ください”とは、誰かの所有物に対して使う言葉です。セシルさんと私の間では、すでに結婚の約束が成立しています。今日はそのご報告に来ました。
 幸福は人それぞれ。うん。確かにこれも正論だ。
「パパ、私が結婚した時って、寂しかった?」
 そっと父の背中へと尋ねてみた。
 答えは返ってこない。沈みゆく地球は、キャンバスの上で青い光を放ち続けている。
「本当は寂しくて、家の中で一人で泣いてたんじゃないの?」
 あきらめずにしつこく問いかける。娘を嫁に出す父親とは、普通そういうものでは。そういう固定観念が、私の中にあったせいだろう。
「あいつとは違う」
「え? あいつ? 誰のこと言ってるの?」
「トモだ」
「ト、トモが、泣いてたっていうの?」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまう私。
「あの日は、朝までやけ酒に付き合わされた」
「あの日って? 結婚式、わ、私の結婚式の日のこと? ねえ、パパ。ねえったら……」
「う、うるさいな。こっちは仕事中なんだ」
 その後、どんな質問をしようとも、父の口から満足のいく答えが返ってくることはなかった。あきらめ、自分のキャンバスへと向き直る。
 描きかけの木造校舎を見ていると、そこに小学生時代の智美の姿が重なり合う。あの頃は、いつだって近くに彼がいた。恋人同士になるのも必然だったように思う。付き合おう。そう言ったのはどちらだっただろう。どちらでもなかったのかもしれない。あの時は、そうなることが一番自然だったのだ。
 別れの言葉を口にしたのは、私の方だった。それははっきりと覚えている。家業のおもちゃ屋を継ぐ智美と、この町を出て行くと決めていた私。二人の別れも、やはり必然だったのだと思う。きれいな別れ方だった。恋人から親友へ。別れというより、あれは二人にとっての新たな関係の始まりだった。
 再びパレットを取ろうと、手を伸ばしたところで、来客を告げるインターホンが鳴った。
「私、行ってくるね」
 その声も、インターホンの音も、今の父の耳には届かないらしい。足早に玄関へと向かい、ドアを押し開く。
 買い物帰りなのだろう。そこに立っていたのは、レジ袋を手に下げた一人の女性。智美の妻、真琴である。よく見ると、その背後には、一人息子の力也の姿もあった。
「こ、こんにちは。もう、こんばんはかな……」
 たった今まで、智美のことを考えていたせいかもしれない。予想外の訪問者に、私は少なからず動揺していた。
「一つ、お願いしたいことがあるんですけど」
 真琴のその口調は、お願いに来たというより、何かの苦情を訴えに来たという風だった。
「毎朝、ウチの主人と一緒に出かけてますよね」
「出かけるって……。ランニングのことでしょ?」
「あれ、仕事に差し支えるようなんです」
「そ、そうだったの? ちょっと、ペース速すぎたのかなあ。じゃあ、今度からはもっと……」
「もう誘わないでもらえますか。おもちゃ屋やるのに、そんなこと必要ないですから」
「でも、それって、私から誘ったわけじゃ……」
 私はそこで言葉を切った。力也と一瞬目が合ったからである。彼は不安そうな表情で、私と真琴とを交互に見比べている。
「ウチの主人もそうなんですけど、セシルさん、すごく目立つんですよ。世間体もありますから、その辺、どうかよろしくお願いします」
 言い終るなり、真琴はすぐに踵をかえした。私に対して、答えを返す余裕さえ与えたくない。そんな厳しい空気が伝わってくる。
 智美に運動を薦めたのは、真琴の方だったのでは。そんな反論が頭に浮かんだが、今は、それを口に出さなくてよかったと思う。
 手をつないで歩く母と子の後姿。その二つのシルエットを見ていると、不意に別の親子、しかも、一度も会ったことのない母と子のイメージが重なった。礼治の妻。そして、その子供の姿である。
 二つの影は、あまりに小さく、あまりに弱々しく見えた。誰かが守ってあげなければ、すぐにでも消えてなくなってしまう。そんな気がした。
 とにかく、明日からの早朝ランニングは中止にしよう。作品制作に集中したいから。智美に理由を聞かれたら、そう答えればいい。私の存在によって、智美の家庭に、何らかの問題が生じるなど、絶対にあってはいけないことだ。特に、あんな幼い子を巻きこむわけにはいかない。
 両親から離婚の話を聞いたとき、小学生の私にはすでにその予感があった。説明されなくとも、いつもどこかで不穏な空気を感じていた。子供とはそういうものなのである。
 そういうものだとわかっていながら、しかし今、私は一つの家庭を壊そうとしている。壊れることを願っている。
 まだ見ぬ礼治の子は、私のことを、いったいどんな表情で見つめるのだろうか。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
にほんブログ村
応援クリックお願いします!

31 夢の続き
不倫のライセンス 目次

スポンサーサイト

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

片瀬みこと

Author:片瀬みこと
札幌在住のアマチュア作家

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。