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雨と虹の日々 34 病院が嫌い

34 病院が嫌い

 俺は病院が嫌いだ。
 そこに行った者は、たいてい何らかの病名をつけられてしまうのだという。高い診察料をふんだくられ、たくさんの薬を売りつけられ、おまけに入院、あるいは、定期的な来院までをも約束させられちまうらしいのである。
 猫同士のただの噂話として、今までは軽く聞き流してきたが、どうやらそいつは、まったくのでたらめというわけでもなさそうなのだ。なぜなら、身近にその被害者の一人がいるからである。
 一体全体、虹子のどこが病気だってんだ。歩けないわけでもない。腹を下してるわけでもない。ダニにたかられてるわけでもない。それがどうして、いまだに病院通いを続けなくっちゃいけないんだ。
 一時期、虹子の様子は確かに変だった。それは認めよう。だがそれも、一週間前までの話だ。直人とのやり取りがきっかけで、今ではすっかり元の虹子に戻っているではないか。
「ああ、なんて素敵な曲なんでしょ」
 虹子のピアノ演奏に、横井の妻が感嘆の声を上げる。この特別コンサートを聞けるのは、リビングにいる俺と老夫婦だけなのだ。妻が感激するのも無理はない。もしも虹子が弾けば、あの『猫踏んじゃった』でさえ、きっと安らかな子守歌みたいに聞こえちまうんだろうぜ。
「今のは、何ていうタイトルなの?」
「ええと、タイトルは……。ごめんなさい。まだ決めてないんです」
 ソファーに並んで座る俺たち観客に向かって、虹子はピアノの前で照れくさそうに微笑んだ。至って健康的な表情である。彼女を病人扱いするとは、とんでもないやぶ医者もいたもんだぜ。
「ステージで演奏する時までには、ちゃんといいタイトル考えておきますね。だから……」
 やや間を置いてから、虹子は、「その時は、ぜひご夫婦で見に来てください」と力強く言った。病人じゃないからこそ出せる力強さである。
「あらあ、それは楽しみね」と、顔をほころばせるのは横井の妻だ。
「ニャアーン」と、精いっぱいの喜びの声を上げるのは俺だ。
「もうしばらくは、ここで暮らしてもらうことになります」と、一人場違いな発言をするのは横井だ。横井のトンチキだ。
「まあまあ、そんな無粋なこと、今言わなくたっていいでしょ。いやねえ、そんな怖い顔して」
 妻が嘆くのも無理はない。その通りなのだ。今言うことではない。今怖い顔する時ではないのだ。こんな無神経な男とは、さっさと離婚しちまえばいいのさ。
「それも、あの人の命令なんですか?」
 虹子が表情を一変させた。もちろん、横井のアンポンタンのせいである。
「いいえ、私の判断です。虹子さんのことは、任せられてますから。それに、いくつか聞かなければいけないこともありますし……」
「任せられてるって、それ何なんですか? 赤の他人の横井さんが、どうしてそこまで責任を背負わなければいけないんですか? もう、私のことは放っておいてください。カウンセラーの先生に聞いたって、どこも異常はないって言ってました。私を病人扱いしてるのは、横井さんだけですよ。聞きたいことがあるなら、今すぐ聞けばいいじゃないですか。どんなことですか? 総理大臣の秘密を、暴露するつもりがあるかどうかってことですか? それなら心配ありません。私口は堅いですから。それに、もうお金も結構です。そんなことぐらいで、親の責任を果たしたみたいにあの人に思ってほしくないですから」
 早口で一気にまくしたてたせいだろう。虹子がやや呼吸を乱している。
 俺はすぐに駆け寄り、彼女の膝へと飛び乗った。近くで見る虹子の瞳は、悲しげに潤んでいた。何もかもが、横井のスットコドッコイのせいである。
「警察の方から、いくつか頼まれてることがありまして……」
 そう言って立ち上がると、横井は足早に部屋を出て行った。どうやら何かを取りに行ったらしい。それにしても、よく人から頼まれる男だ。総理大臣の次は警察ときてる。それこそ、頼まれると嫌とは言えない、そんな病気にかかっちまってるんじゃないだろうか。
 横井の妻に促され、虹子は俺を抱いたままソファーに腰を下ろした。
 そこへ、すぐに横井も戻ってきた。手には、大きめの茶封筒を持っている。
「これを、確認してもらいたいんだそうです」
 テーブルの上に、七、八枚の写真が並べられた。封筒の中からたった今取り出されたものである。いずれも女の顔写真だ。
「見覚えのある人物はいますか?」
「いいえ」
「ンニャ」
「よく見てください。似てる人がいないかどうか」
 そうしつこく言われようと、虹子と俺の答えは変わらない。写真の中に、知っている人物など一人もいなかった。
「この人たち、何か悪いことでもしたんですか?」
 虹子の問いに、横井が再び封筒を手に取った。中から書類らしきものが取り出される。
「徳永美和子、藤沼良恵、前畑洋子、竹下……」
 写真の中の女たちの名前だろうか。だが、横井がすべて読み上げた時には、なぜか名前の数が写真の枚数を上回っていた。
「これらの名前についてはどうですか?」
「いいえ」
「ンニャ」
「本当に?」
 まったくしつこい男だ。何度聞かれようとも、虹子の答えはノー、俺の答えはニャーだ。
「だから、この人たちは何なんですか。私の質問にも、ちゃんと答えてください」
 虹子がじれったそうに語調を強める。気がついてみると、俺の前足の爪も出しっ放しになっていた。まったく、いらつかせてくれる男だぜ。正解が明かされないクイズ番組を、いったいいつまで続けようってんだ。
「実は、今読み上げた名前、そして、写真に写る女たち……」
 ようやく答えが聞けるらしい。無愛想な横井の顔を、虹子はやや緊張した面持ちで見つめた。
「これら、すべて同一人物らしいんです」
「え?」
「ニャ?」
 虹子の視線が、再びテーブルの上へと向けられた。並べられた写真を、疑わしい表情で眺めいる。
「彼女は、現在も逃亡を続けている教団幹部の一人で……」
 書類に目を走らせながら、横井は淡々と説明を続けた。
 いくつもの偽名を持ち、何度も整形を繰り返していたという彼女。資金集めなどで、教団運営を支える一方、多くの信者獲得にも尽力していたとされる。特に、男女問わず若い信者からは、教祖以上に慕われる存在だったのだという。
 横井はいったん口を閉じ、虹子の反応をうかがった。そして、「約束の地」と一言。その瞬間、俺の身体の下で、虹子の膝がピクンとするのがわかった。
「もちろん、この言葉はご存知ですよね。教団の教えが書かれているという本に、私も何冊か目を通しました」
 虹子は何も答えない。いまだに写真とのにらめっこを続けている。
「浄化された魂だけが、その地へ導かれ、永遠の命と、それから、何と言いましたかな。ああ、そうそう、絶対幸福でした。それらが約束されるのだとか、そんな風に書かれてましたっけね。近いうちに大災害が起る。そこで、多くの命が消滅し、そして選別される。そのようにも記されてましたね」
「そうですね。私も、ずいぶんとその本読みましたし、そう教えられもしました」
 顔を上げ、虹子はきっぱりと言い放った。その反応が、横井には意外だったらしく、一瞬だけポカンとした表情になる。
「虹子さんが、今までどういったところにいたのか、ちゃんと理解は……」
「理解できてます。もう大丈夫です。私、だまされていたんですよね。ああ、早く気づくことができてよかった。もうちょっとで洗脳されるところでした。ええと、マインドコントロールとか言うんでしたっけ? 横井さん、そのこと心配してるんでしょ?」
 横井は答えずに、隣に座る妻と顔を見合わせた。
「本当に私、もう大丈夫なんです。写真の女の人のことも、やっぱり知りません。きっと、知らなくてよかったんでしょうね。危うく人生台無しにするところでした。今は、早く元の生活に戻りたい。そして、早くバンド活動を再開させたい。その思いでいっぱいなんです。だから、帰らせてください。もちろん私のマンションにですよ。もう、二度とあの人たちとはかかわりたくないですから」
 今度の言葉は、横井の妻に向けられたものだった。
「そうねえ、ええ、どうなんでしょうねえ……」
 虹子に見つめられても、妻には曖昧な笑みを浮かべることしかできないらしい。横井は横井で、沈黙したまま、何やらひどく表情を曇らせている。
「もう、帰ってもいいんですよね?」
 虹子が再び尋ねる。そして、横井の答えを待たずに立ち上がり、「これから、荷物まとめてきます」と、足早に部屋を出て行った。
「いいんですか? 虹子さん、帰っちゃいますよ」
 妻に問われ、横井の顔はますます苦渋に満ちたものになった。
「私に、これ以上どうしろと言うんだ」
「だって、あなたの判断に任せられてるんでしょ?」
「判断すべき立場なのは……。ああ、そうだ。こんな時に、虹子さんのそばにいて、力になってあげるべきなのは、この私じゃない。本当は、この私であっちゃいけないんだ」
 そう言うなり、横井は弾かれたように立ち上がった。虹子の後を追うのでは、と初めは思ったが、どうやらそうではなかったらしい。彼の向かう先にあるのは一台の電話だった。
「早く、早く出てくれ……」
 受話器を耳に当てたまま、横井がじれったそうに呟く。どこにかけ、何を言おうとしているのかはわからない。俺も横井の妻も、今はただ黙って見守るしかなかった。
「あ、総理。私、横井です」
 電話の相手が誰なのか、それだけですぐにわかった。
「虹子さんのことなんですが……」
 先ほどまでの虹子の様子が、やや早口に、それでいて、ごく単調な声音で説明されていく。これから何が起きようとしているのか。そんな殺気立つような緊張感は、いったいどこへ行っちまったってんだ。これでは、どうってことのないただの報告ではないか。
 結局横井という男は、何十年もこうしたことを繰り返してきたのだろう。王様には絶対逆らうべからずと。家来は決して自己主張するべからずと。
「……このまま、返してもよろしいんですか?」
 横井が尋ねる。気のせいだろうか。一通りの説明が済んだところで、なぜか急にその口調が重々しくなったように聞こえる。
「ええ、はい。それは前にも……。ですが、総理……」
 徐々に声が大きくなっていく。「総理!」ともう一度、そして、最も迫力のある声が室内に響き渡った。
 短い沈黙。
 横井がチラリと妻を振り返り、またすぐに背を向ける。大きな吐息。それに続いて、再び彼はしゃべり始めた。
「総理、これから言うことをよく聞いてください。あなたの秘書としての、これが私の最後の仕事になるかもしれませんから。いいですか? ちゃんと聞こえてますか? ええ、そうでしょう。ええ、忙しいのはわかってます。ああ、そうでしたね。米大統領との電話会談でしたっけ。そうですか。はい。じゃあ、そちらをキャンセルしてください。いいですか? 何もしゃべらなくていいので、とにかく私の話を聞いてもらいますよ。ええ、はいはい。いいから、私の話を聞けと言ってるんだ。少しの間、その口を閉じてろと言ってるんだ。総理、あなたに一つだけ言いたい。虹子さん、あなたの娘の虹子さんと、一度ゆっくり話し合うんだ。言いわけがあるんだったら、直接娘に言え。謝りたい気持ちがあるんだったら、娘の目の前で頭を下げろ。虹子さんの父親は誰なんだ? 虹子って素敵な名前をつけたのは誰なんだ? 自分の娘一人守ってあげられないような人間が、日本を守れるとでも思ってるのか? 世界を平和にできるとでも思ってるのか? だいたいお前は、俺より七つも年下じゃないか。俺が中学生になったときには、お前はまだ、ひらがなもろくに書けないような洟垂れ小僧だったんだぞ。いいか小僧。人生の大先輩の、ありがたい忠告をよく聞けよ。娘に会いに来い。今すぐ、さっさと虹子さんを迎えに来い。……私からは以上です。もし辞表が必要であればおっしゃってください。すぐに用意します」
 通話を終え、横井はゆっくりとこちらを振り返った。何となく、さっぱりとした表情に見える。
「すまん。失業するかもしれん」
 苦笑いの夫の素へ、妻が微笑みながら歩み寄る。
「見直したわ、あなた」
 見直したぜ、横井。さっさと離婚しちまえばいいってのは、今すぐ撤回だ。こんな骨のあるやつ、人間にしておくにはもったいない男だぜ。

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ラスト三話となりました。

35 希望が嫌い
雨と虹の日々 目次

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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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No title

見直したぜ^^
よく言ってくれました。
人間がもったいないとなると・・・(笑)

しばらく来られなかった間に色々ありましたね。
一番なのは、虹子さんが日記を書けない状況になってしまっていること、
二番目は、あの怪しい団体から逃れてきていること、
三番目は、レインと離れ離れにならずにずっと一緒にいられていることぉ~~

ラスト三話ですか。
どうかラストには虹色の橋がかかりますように!
って、ここで言ってどうするん。すみません(><)

Re: No title

けいさん、コメントありがとうございました。

> 見直したぜ^^
> よく言ってくれました。

今回は横井に頑張ってもらいました。
一生に一度あるかないかの、輝ける瞬間ってとこでしょうか。
これが現実だったら、やっぱり失業かな。

> ラスト三話ですか。

ようやくここまできました。
ほっと安心できるような、それでいて、どこか寂しくなるような、こういう気持ちって、この時期特有の感覚なんですよね。
ああ、完成したら、しばらくは新しい作品が書けなくなりそう。

プロフィール

片瀬みこと

Author:片瀬みこと
札幌在住のアマチュア作家

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