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雨と虹の日々 33 沈黙が嫌い

33 沈黙が嫌い

 俺は沈黙が嫌いだ。
 虹子は別として、おしゃべり好きの人間には、今まで辟易させられてきた。虹子は別として、人間が口にする言葉には、たいした意味など含まれていない。しゃべるという機能が備わっているから、ただそれだけの理由で、人間は四六時中無駄口を叩き、余計なトラブルを巻き起こしているのだ。もちろん、虹子は別としての話である。
 猫相手に、あんなにも熱心に話しかけてきた彼女。俺にとってその声は、紙製の小箱のように安らかで、カリカリのごとく刺激的な響きだった。
 しかし、今は違う。虹子は、言葉を失ってしまったのだ。何が原因なのか、俺にはさっぱり見当がつかない。横井夫妻の会話によると、虹子は決してしゃべる機能を失ったわけではなく、精神的ダメージによって、一時的に口を閉ざしてしまっているだけなのだという。結局、そいつもよくわからない理屈だ。どっちにしろ、虹子がこの数日沈黙したままでいることには変わりないのだから。
 俺にとって唯一よかったのは、再び虹子と同室で暮らせるようになったことだ。なるべく以前の生活環境に戻した方がいい。カウンセラーってやつからそんなアドバイスがあったらしいのである。そいつがどんな偉い人間かはわからないが、あの横井が素直に従っているぐらいなのだから、まあまあそれなりの力を持った人物なのだろう。
 虹子の以前の生活環境といえば、もちろん俺との暮らしだけではない。バンドメンバーとの接触ってのも、その中には含まれているらしい。おそらく横井が探してきたのだろう。昨日は、ベースの秋男と、ドラムの広道、そして、なぜか宝田までもがこの部屋を訪ねて来た。
 久しぶりに見る秋男は、やはりひょろひょろと細っこく、不健康そうな顔色のままだった。それでも、虹子を心配する気持ちだけは本当らしく、ぼそぼそとした声音で、虹子に向かって熱心に語り続けた。
 口下手同士、また一緒にバンドやろうよ。虹子がいなくなってから、胃腸の調子がもっと悪くなった。黒猫って、本当は縁起がいいらしいね。ベースなんてやめて、俺もキーボードにしようかな。さっきのギョロ目の人って、なんか怖いね。
 残念ながら、その中に虹子を振り向かせるような言葉はなかった。彼女は沈黙したまま、ただじっと窓の外を見つめ続けるだけだった。
 広道は、なぜか謝罪と言いわけの言葉を繰り返していた。太っちょの身体を精一杯小さくして、“ごめん”と“しょうがなかった”を連発した。どうやら、DVDをあの伯父さんに見せてしまったことについてらしい。
 やはり、虹子が口を開くことはなかった。
 宝田は、そもそも何のために来たのかすらわからなかった。沈黙し続ける虹子に対し、とにかく自分の興味があることだけをしゃべりまくった。
 あのギョロ目の人とはどんな関係? 未来から来たロボット役で、今度プロモーションビデオに出てくれないかな。おばあさんがずっとテレビのリモコンを持ってたけど、きっとあれを使って操縦してるんだと思う。意外と政府に関係のある人、いや、ロボットだったりして。そういえば、あの間宮って人も、ずいぶんエキセントリックなキャラクターしてるね。あれじゃあ、教祖か、占い師か、芸術家ぐらいしか道はないだろうなあ。ハンバーガーショップで働きたいっていっても、たぶん面接で言われるんだろうね、あなたは教祖にしかなれませんよってさ。それにしても、あのギョロ目の人は……。
 もちろん、虹子が振り返ることはなかった。大きなため息を一度漏らしただけだった。
 以前の生活環境に戻すことが、虹子の回復につながる、という理屈がますます疑わしくなってくる。俺に対しても口を閉ざしてしまったぐらいなのだ。誰がどんな手段を使おうとも、虹子を再びしゃべらせることは無理なのかもしれない。俺の中には、そんなあきらめにも似た気持ちがくすぶり続けていた。
「耳の方は、ちゃんと聞こえてるんでしょ?」
 虹子の背中に向かって、そう声をかけたのは麗子である。今日は彼女の他に、同じバンドメンバーであるギターの直人も一緒だ。
「失語症とか、失声症とか、なんか、そういうわけのわからない病気になっちゃったんだってね。見た感じ、どこかおかしいようには思えないんだけど。もともと虹子、あんまりしゃべんなかったし」
 麗子は大きくため息をつくと、チラリと横にいる直人へ一瞥をくれた。
「あ、あのですね。だけど、よかったかもです。あ、すいませんです。よかったっていうのは、レインが、無事だったことについてで……」
 何か言わなきゃ、麗子にひどい目に会わされるとでも思ったのだろうか。直人が声をうわずらせる。麗子の顔を見て、虹子の背中を見て、また麗子の顔を見て、最終的に、膝の上の俺を撫でることで落ち着いたようだ。
「レイン、よかったね」
 直人、お前もな。
 相変わらず、虹子は窓の外を見つめ続け、麗子と直人はベッドの上に腰を下ろし、いつ振り返るとも知らぬ背中を見つめ続けていた。
「前にも言ったはずだけど……」
 麗子が再び口を開く。彼女にしては珍しくやさしい声音だった。
「バンド、また一緒にやろうよ。病気のことはよくわかんないけど、結局、それが一番の薬になるんじゃないの?」
 虹子からの反応はない。
「同情で言ってるんじゃないよ。あのライブ、虹子が最後に参加したライブ。あのとき、私気づいたの。このバンドには虹子が必要だってね。私は、これからもあんたが書いた詞を歌いたいんだってね」
 麗子の話に感動したのだろう。途中から、鼻をすする音が聞こえてきた。残念なのは、それが虹子の発したものではないということである。
「直人、何であんたが泣いてんのよ」
 麗子が、すかさず俺の意見を代弁してくれた。
「す、す、すいませんです。う、うう……」
 直人は俺を膝から下ろすと、「僕、ちょ、ちょっと、向こうに行って来ます」と声を裏返した。涙を拭いながら、足早に部屋を出て行く。
「ああ、何で直人なのよお」
 ぶつぶつと麗子が口を尖らせる。しかし、すぐに気を取り直したかのように、「でも、二人っきりになれてよかった」と、再び虹子に向かって語り始めた。
「誰にも知られたくない話が、一つだけあって……」
 隣に座る俺の姿は目に入っていないらしい。麗子はしゃべりながらぼんやりと虚空を見つめた。何かを思い出しているのだろう。微笑んでみたり、眉をひそめてみたりと、忙しく表情を変化させている。
「昔、一度だけ男性に告白したことがあったの。私の方からよ。男性から告白されることは、正直よくあったけど、その逆は初めてだった。その人、私と同い年なのに、すごく大人っぽい感じで、何より、才能ってものに恵まれてた。うん、たぶんそこに引かれたんだと思う。それで、その告白した結果はどうだったかっていうと……、残念でしたってことになっちゃったの。ああ、あの時はショックだったなあ。自分が振られるなんて想像もしてなかったからね。あとで気づいたことなんだけど、彼にはすでに好きな人がいたってわけ。直接聞いたんじゃなかったけど、彼の表情でわかった。彼女のことを話す時の表情でね」
 麗子は、俺の頭を軽くポンポンと叩いてから立ち上がった。「そのまま、黙ったままなんて許さないからね」と、虹子の背中へ向って言い、ややあってから、「また来るねと寂しげに続ける。そして、ドアのところまで歩いて行き、最後にもう一度だけ虹子を振り返った。
「彼女は、俺の作品に、命を吹きこんでくれるんだ。……私のことを振った馬鹿な男が、そんなこと言ってたなあ」
 麗子が出て行くと、今度は入れ替わるようにして直人が部屋に戻ってきた。
「おじゃましますです」
 そして、「あのDVDって、もう見ました?」と明るい声音で言い、続いて、「ホント、宝田さんにはまいっちゃいますよね」とやや勢いを失い、結局は、「レイン、無事でよかったね」と、猫を相手にする方が楽だということに気がついたようである。
「いろいろと住む場所が変わって、君も大変だろうね」
 直人は再びベッドに腰を下ろした。先ほどと同じように俺を膝の上へと抱き上げる。
 そして、「君は、いったいいくつなんだ?」と肉球をいじり始め、続いて、「猫の寿命ってどれぐらいなんだっけ」と顎の下をコチョコチョし、結局は、「きっと、死んだときが寿命なんだよね」と、自らの力で答えを導き出したようである。
「ああ、ココアは、今頃どうしてるんだろ」
 直人がポツリと呟く。
 猫である俺には、もちろんその疑問を解決してあげることはできない。たとえ答えを知っていたとしてもだ。
「レインを見ると、ついつい思い出しちゃうんだよなあ」
 思い出は、たぶん思い出のままにしておくべきなんだろうぜ。真実ってやつを、真正面から受け止められるだけのタフなハートを、人間は持っちゃいないのだから。
「今でも、会いたいと思うことあるの?」
 その瞬間は、唐突に訪れた。
 虹子が口を開いたのである。数日振りに聞くその声に、俺はもちろん、直人も目を真ん丸にして驚いている。
「え、ええと、何だっけ……。あ、そうか。コ、ココアに、会いたいかどうかってことですよね」
「違う」
「あ、すいませんです」
「お母さんのこと。いなくなったっていう、直人君のお母さんのこと」
 虹子の声音には、なぜか厳しい響きが感じられる。座っていた椅子ごとこちらに向き直ると、まっすぐに直人と対峙した。その表情もやはり真剣さに満ちたものだった。
「私の場合、お父さんがどこにいるのかわかんないの。……でも、会いたいだなんて、ぜんぜん思ったことない。直人君だって、そうでしょ?」
「僕は、会いたいです」
 虹子にとって、それは予想外の答えだったらしい。
 再び言葉を失いかけたように見えた。しかし、その沈黙が長く続くことはなく、虹子は「ど、どうしてよ」と、さらに強い口調で直人に聞き返した。
「どうしてって……。親にも、いろいろ事情があるんだろうし……」
「直人君、ものわかりがよすぎるよ。だ、だって、もし、会いたい気持ちがあるんだったら、どんな事情があっても、絶対向こうから会いに来るはず。そうでしょ? 違う? そうしないってことは、会いたくないって意味でしょ。向こうにその気がないのに、こっちだけ会いたい会いたい言ったってしょうがないじゃない。なんか馬鹿みたい」
「僕の、せいかも、なんです」
「僕のせいって……。それ、どういうこと?」
 直人の沈んだ声音に、虹子の勢いもトーンダウンする。
「ちっちゃい頃、僕、すごく身体が弱くて、特に喘息がひどかったんですけど……。僕のその病気を治そうとして、ええと、何て言えばいいんだろ。父の話で言えば、いろいろとおかしな人たちと、関わるようになったってことらしいんです。うまく説明できなくて、すいませんです。僕も、ちっちゃくてよくわからなかったし、父もあまり話したがらないから……。でも、お母さん、きっと怖かったんじゃないかな。僕が生まれる前に、姉がいたらしいんですけど、すぐに病気で死んじゃったようだし……。うん。きっと、怖かったんだと思う」
 今、俺の頭の中には、一人の女の顔が浮かんでいた。直人の話を聞いてるうちに、ピンときたのである。おそらく、虹子も気づいたはずだ。いや、話を聞く前から、何かを察していたに違いない。
 虹子は今、硬く口を閉ざしている。失声症とやらのせいではない。迷い、そう、激しい迷いによるものだろう。
 沈黙も、時には必要なのかもしれない。タフなハートを持っていない人間には、きっと知らせちゃいけない真実ってのがあるんだろうぜ。

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札幌在住のアマチュア作家

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