スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

不倫のライセンス 24 老いていく町

24 老いていく町

 毎朝のランニングには、二つの目的があった。
 一つは、もちろん健康のため。そこには“心の健康”も含まれている。私にとって、この“走る”という単純作業には、精神的安定を得る上で、ジムでのトレーニングと同様の効果があった。
 もう一つの目的とは、これから描く作品の材料を集めることである。気になる物を見つけては、いったん足を止め、その映像をデジタルカメラへと収めていく。シャッターを切るごとに、作品イメージも少しずつ形になりつつあった。
 老いていく町。そんなフレーズが頭に浮かぶ。久しぶりに描く作品は、私にとってあまり楽しいものにはならないだろう。しかし、それでいいと思う。今心をとらえた物。それを描きたかった。それこそが、私自身を描くこと、私自身を見つめ直すことにつながるはずだから。
 私の視線は、前方にある古い木造建築をとらえていた。ランニングを中断し、トレーニングウエアのポケットからカメラを取り出す。
 それは私の母校。早朝ということもあって、まだ子供たちの姿は見当たらない。そのせいもあるのか、今日は一段と寂しげに映る。来年度で廃校になるという話は、以前から聞いていた。これから先の運命を、この学校自身も気づいているのではないか。私にはそんな風に見えた。
 小学生の頃に、あまりいい思い出はない。いじめを受けていたのも、両親が離婚したのもこの時期だった。早くこの学校を卒業したいとばかり考えていた。早く家を、早くこの町を出て行きたいとも。
 様々な記憶が蘇る中、私は夢中でシャッターを切り続けた。

「敏明君から、電話があったぞ」
 父の言葉に、私は一瞬絶句した。ランニングを終え、これからシャワーを浴びようとしたところである。運動後の心地良い疲労感は、あっという間にただの疲労感へと変わってしまった。
 しばらくは実家で過ごします。敏明にはメールでそう知らせてある。とはいえ、今のような状況では、夫の方から父へ連絡は取りにくいはず。そう決めつけていただけに、たった今耳にした言葉を、素直に受け入れることができなかった。
「そ、それで……、敏明さん、何だって?」
 恐る恐る尋ねる私に、「妻のことを、よろしくお願いしますだとか言ってたな」と、ぶっきらぼうな父の答え。
「それだけ?」
「それだけだ」
「嘘。もしもしぐらいは、普通言うでしょ」
「そうだな。もしもしぐらいは言っていたな。危うく、重要なことを忘れるところだった」
 父は面倒くさそうに言うと、踵を返し、キッチンの方へと歩き去った。「あ、パパ。朝食は私作るから、ちょっと待ってて」と、慌ててその背中に声をかける。
 ここで世話になっている間は、食事の支度ぐらいはしよう。それも、私の立てた計画の一つだった。
 大急ぎでシャワーを浴び、着替えを済ませキッチンへ。そうしている間も、先ほどの電話の件で、私の頭の中は混乱していた。夫と父との間で、本当はどんなやり取りがあったのだろうと、ついつい勘ぐってしまう。
 もし離婚するということになれば、いつかは父にもちゃんと説明しなければならないだろう。いや、それは父に対してというだけで済む話ではない。少なくとも、結婚式に来てくれた人たちへの報告義務はあるはず。そうとわかっていても、やはり今の私には荷が重すぎる。正式に離婚が決まるまでは、正直誰にもそのことに触れてもらいたくなかった。
 私と敏明の似顔絵が描かれたペアのマグカップ。
 ふと頭の中に、式の出席者に配った引き出物の映像が浮かぶ。最悪だ。今思えば、これほどひどい引き出物はない。出来ることなら、一軒一軒の家へ忍びこみ、すべて盗み出してしまいたくなるほどである。
「おい、セシル。さっきから焦げ臭いぞ」
 その声に、私は慌てて手元へと視線を落とした。フライパンの中の黒い物体。間に合わなかった。確かこれは、一般的に“目玉焼き”という名で呼ばれている料理だったはず。
「おかしいなあ。これ、最初から黒かったみたい。もしかして、カラスの玉子?」
 ヘタな言い訳を口にしながら、チラリと父の反応をうかがう。どうやら、娘の手料理はあきらめたらしい。眉間に深い縦皺を刻み、無言でクロワッサンにかじりつく人間というのは、たいていが娘の手料理をあきらめた人間である。
 これもきっと敏明のせい。心の中で八つ当たりしながら、私もサラダとクロワッサンだけの朝食を済ませた。

 作品のモチーフになりそうな写真もだいぶ集まってきた。
 老いていく町。そのテーマにふさわしいといえば、やはりあの小学校ということになるだろうか。プリントアウトした母校の写真と私との間で、先ほどから長い睨み合いが続いていた。
 これだけでは何かが足りない。そんな気がする。もう一つ印象的なモチーフさえあれば、木造校舎との組み合わせも生きてくるはず。老いていくイメージとは対照的な何か。この作品を描く上で、それがどうしても不可欠に思える。
 とりあえず、小学校のデッサンから始めることにした。思案してばかりいても、なかなか前に進むことはできない。
「しばらく描いてなかったんだろうな」
 私のスケッチブックを覗きこんでいた父が、ため息混じりに呟いた。
「しょうがないじゃない。主婦だもん。忙しいんだからね。主婦っていろんな……」
「手を止めるな」
「あ、うん。わかってる」
 ぶつぶつと不満を漏らしつつも、私は鉛筆を持った手を動かし続けた。デッサンの腕が落ちているのは自覚している。かつて在籍していた女子高の美術部。その頃と同じ技術を、この手に蘇らせるのは容易なことではないだろう。とにかく今は、描いて描いて描きまくるしかない。
「最初から強く描きすぎだ」
「うん」
「もうちょっと、肩の力を抜いた方がいい」
「うん」
「デッサンなんだから、怖がらずにもっと大胆に鉛筆を走らせるんだ」
「うん」
 こうしていると、十代の頃を思い出す。作品制作に夢中になっていたあの頃。絵を描くことで、嫌なことを忘れようとしていたあの頃。そして、私にとっての芸術とは、寡黙な父との、数少ないコミュニケーション手段の一つでもあった。
「ねえ、パパ……」
 手を止めず、後ろを振り返らず、私はそっと囁いた。
「聞きたいことがあるんだけど」
「何だ?」
「離婚って、やっぱり大変だった?」
「もう、覚えとらん」
「どっちが、先に言い出したの?」
「それも忘れた」
「原因は、何だったの?」
「さっきから、愚問ばかりだな」
 愚問だということぐらい承知の上である。答えを聞いたからといって、過去を変えることなどできない。私には十分すぎるほどわかっている。それでも知りたかった。今だからこそ、父の口から聞きたかった。
「ちょっと、買い物に行ってくる」
 一言言い残して、父は足早にアトリエを出て行った。
 いつもそう。父は昔からそうだった。都合が悪くなるたび、すぐにその場から逃げ出してしまう。決して現実と向き合おうとしない。それはまるで……。
 そう。それはまるで、私自身の姿を見ているかのようだった。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
にほんブログ村
応援クリックお願いします!

25 いつまでも変わらないもの
不倫のライセンス 目次

スポンサーサイト

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

片瀬みこと

Author:片瀬みこと
札幌在住のアマチュア作家

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。