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不倫のライセンス 20 タイミング

20 タイミング

「うん。とりあえず、そういうことだから……」
 通話を終えると、私はすぐに携帯電話の電源を切った。
 明日、実家に帰るから。突然とも思えるそんな私の言葉にも、父はいつもと変わらぬ反応を見せるだけだった。
 ああ、わかった。
 寡黙な父の性格が、今の私にはありがたかった。
 礼治のマンションに上がりこんで五日目。今まで先送りにしてきた問題を、もうちょっとだけ先に延ばす。それが、数日かかって私が出したとりあえずの答えだった。
 決して、現実からめをそらしているわけではない、と自分に何度も言い聞かせる。物事にはタイミングというものがある。試合を間近に控えたプロボクサーに対して、精神的ストレスになるような質問は避けるべきだろう。礼治に試合に勝ってもらいたい。今一番願っているのはそのこと。純粋にそう思える。そう思えるからこそ、今はタイミングが悪い。今は問題を先送りにするのが正解なのだ。
 ランニングで汗だくになった礼治が帰って来た。
「着替え、用意してあるから」
 バスルームへと向かう彼の背中に一声かけ、私は夕食の準備に取りかかった。ここ二、三日のことではあるが、今はこれが私たち二人の生活パターンとなっていた。
 ボクシングのことについて、私からアドバイスできることなど、もちろん何もない。彼の力になりたくとも、実際にできることは限られていた。おいしい手料理、そして、リラックスできる環境作り、というのがそれである。
「これも、うまいなあ」
 エビとしらたきのピリ辛炒め、豆腐サラダ、ささみとシメジのトマト煮込み、と一口ずつ順番に味わいながら、礼治は感心したような口調で呟いた。そういう彼を見るのは、私にとっても大きな喜びである。
「低カロリーを条件に、おいしい料理を作るのって大変なんだからね」
 うまい、の一言でも満足なのだが、欲を言えば、料理する苦労もわかってもらいたい。これ、主婦の本音。いや、今は、恋人の本音と言うべきか。それとも、愛人の……。
「今度、もうちょっと広いところに引っ越そうと思うんだけど」
 箸の動きを止め、礼治がポツリと言った。
「そう……」
「ここだと、さすがに二人じゃ狭すぎるし」
「そう、かな……」
 彼に釣られるように、私もぼんやりとワンルームの部屋を見渡してみる。確かに、二人暮らしには窮屈なサイズなのだろう。ただし、今それを口にするのには抵抗があった。これもやはりタイミングの問題である。快適な二人暮らしを考える前に、クリアーしなくてはいけないことが、私たちにはまだたくさん残っているのだから。
「旦那さんから、電話は?」
「え……」
 一瞬言葉を失う。今まで私が避けてきた、おそらく彼も避けてきたであろうその話題。なぜこのタイミングに? 絶句する代わりに、私は心の中だけでそう呟いていた。
「私、携帯の電源切ってるから」
「ああ、そうだったんスか」
 礼治は再び箸を動かし始めた。私もそれに倣う。
 夫について、電話についての質問は、もう彼の口から出ることはなかった。なかったらなかったで、気になってしまうのが人間の悲しさである。表情をうかがうも、何も読み取ることはできない。ごまが一粒、唇の端に付いているのを発見しただけだった。そのごまを見て、何か重大なメッセージがこめられていると感じるのは、私の気のせいだろうか。絶対気のせいだ。
「麻美ちゃんのことなんだけどさあ……」
 とにかく話題を変えようと、私は、「彼女、まだジムにいるの?」と明るい声で続けた。
「ちゃんと、通ってきてくれてますよ」
「へえ、彼女、やる気があるようには見えなかったんだけどなあ」
「ボクシングに目覚めたんじゃないスか。あ、そういえば、今度から、週二回に増やすらしいっスよ」
 意外だった。生田麻美の目的は、ボクシングではなかったはず。
 敏明の妻になるチャンスが、自分にあるかどうかを、私に会って確認したかった。確か彼女はそう言っていた。実際に私を見て、どう判断したのかはわからない。けれど、私と礼治との関係に気づいた今となっては、もうジムに通う必要などなくなったはずだ。敏明と麻美がよりを戻そうと、今の私にそれを反対する理由はない。むしろ、二人がそうなってくれた方が、私にとって都合がいいくらいなのだ。
 ウチの夫をよろしくね。
 ふとそんなセリフが頭に浮かぶ。麻美に向かって、もし口にすることができたなら、私もすぐさま“カッコいい女”の仲間入りだろう。そう。あの新山瞳子にも負けないぐらいの。
「明日も、このサラダがいいなあ」
 礼治の発した“明日”という言葉に、私は我にかえった。大事なことを一つ言い忘れていたのである。想像の中の“カッコいい私”を急いで追い払う。
「だ、駄目なの。あれだから、明日は、あ、あれだから……」
 思わずしどろもどろになってしまう私。カッコ良さとはほど遠い、これが今の私である。
「駄目っスか?」
「いや、そうじゃなくって……。私、父のところ、実家にね、一度帰ろうかと思ってるの」
「明日っスか?」
「うん。急にごめんね。言い忘れてたの。毎年一度、ちょうど今頃帰っていたこと思い出して、さっき父に電話したところだったの」
「いつ、戻って来るんスか?」
 寂しげな礼治の表情を見ると、もうそれだけで、せっかくの決意が揺らぎそうになってしまう。いつ戻っていいのか、私の方が聞きたいぐらいなのだ。
「少し、一人になって考えたいことがあるの」
「いつまでっスか? それ」
「いつまでって……。それは、わからない」
「どうして?」
「いろいろと、クリアーしなくちゃいけない問題があるでしょ? 私たち二人には」
「問題って何っスか?」
「そ、そんなに、一方的に質問ばっかりしないでよ」
 私は声を尖らせていた。なぜ、この気持ちをわかってもらえないのか。そんな苛立たしさを、どうしても隠しきることができなかった。
「私だって、本当は、礼治に聞きたいことたくさんあるんだからね」
「じゃあ、聞けばいいじゃないっスか。俺、何でも答えますよ」
「だからあ……。それは、後になってからでもいいじゃない。試合が近いんだし。大事な試合なんでしょ? 今は、そのことだけに集中してほしいの。礼治のために言ってるんだからね。それぐらいのこと、どうしてわからないかなあ」
 嫌な言い方をする女だな、と自分でも思う。私がもし男だったら、絶対付き合いたくないタイプの女である。
 思い沈黙が続くのも当然だった。明らかに私のせいだ。精神的ストレスになるようなことは、今の彼からなるべく遠ざけてあげたい。そんな思いだけが、私の中で空回りし続けていた。
「豆腐サラダなら、冷蔵庫に、まだ材料残ってるし……。ごまドレッシングかけて、後は、混ぜ合わせるだけで……」
 重い空気を追い払うには、あまりに無力な言葉だった。それでも、礼治は何かを察してくれたらしい。一度コクリとうなずき、そして、私に向かってやさしく微笑んだ。
「礼治が試合に勝つために、私ができることって何かある? エイドリアンって、ロッキーのためにどうしてたんだっけ? その辺が、どうしても思い出せないの」
「エイドリアンは、何もしてないっス」
「そうだったかなあ……。何か一つぐらいない? 私にできそうなこと」
「一つあります」
「何?」
「試合前に、相手選手を襲撃してください」
 二人の笑い声が、食卓を再び居心地の良い場所へと変えた。重い空気を追い払うのは、どうやら礼治の方が得意だったらしい。
 笑いながら、私はふとあることを思い出した。映画の中で、ロッキーのためにエイドリアンがしたことである。そう。彼女は、いつだって彼のそばに寄り添っていたのだった。

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21 心のモヤモヤ
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