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不倫のライセンス 16 突然の告白

16 突然の告白

「この店で会うの、今日で最後にしませんか?」
 彼の言葉に、私は小さくかぶりを振った。
「麻美ちゃんのことなら、もう心配しないで」
 そこで握り拳を作り、「私が、さっきKOしてきたところだから」と、おどけた口調で続ける。
 しかし、礼治の口元が緩むことはなかった。いつもの彼とはどこか違う。それは、この居酒屋に入った時から、何となく気づいていたことではある。
 テーブルに置かれた枝豆やビールには、ほとんど手をつけていない。言葉数も少なく、時折見せる硬い表情は、何かに思案を巡らせているといった風だ。生田麻美の出現には、私もずいぶんと戸惑わされたが、礼治にとっても、やはりそのことが気がかりなのかもしれない。
「別に悪いことしてるわけじゃないのに、陰でコソコソ会うのって、私何となく嫌なの」
「来週は、ウチで飲みませんか?」
「だからあ、もう、麻美ちゃんに邪魔されることはないんだし……、いや、ないような、気がしたり、しなかったり……」
 今の私に、それ以上の説明は無理だった。麻美の正体について、まさかこのタイミングで話すわけにはいかない。
「そうじゃないっス……。ウチに、セシルさんに、ウチに来てもらいたいんです」
「え?」
 今度は、私が堅い表情を見せる番だった。
 ウチに来てもらいたい。頭の中で、慌ててその言葉を反芻してみる。これは、俗に言うところの、“誘い文句”や“口説き文句”と呼ばれるものだろうか。本当にそうだろうか。冗談を言っているような表情には見えなかった。背後から何者かにピストルを突き付けられ、無理矢理言わされているといった風でもなさそうだった。
「礼治君、今、ウチに来てもらいたいって、私、聞こえたような気がしたんだけど」
 念のため確かめてみた。
「ウチに来てもらいたいって言いました。セシルさんに、俺、惚れてるんです」
 聞き間違いではなかった。しかも今度のは、“惚れてる”というおまけ付きである。
 突然の告白。あまりにも突然すぎる。本来なら、もっとロマンチックな雰囲気作りをした上で行なわれるべきものではないのか。少なくとも、枝豆を間に挟んで言うべき言葉ではないはず。
「そんなこと言って、私に、飲み代出させようと思ってるんじゃない?」
 とりあえず、お茶を濁してみた。
「違います。セシルさんのこと、ずっと前から惚れてました」
 うまく濁せない。
「ずっと前からっていうと……、まだ、太陽が地球の周りを回ってるって、そう信じられていた時代の頃かな?」
 話をすり替えてみた。
「ジムで、初めて会った時からです」
 うまくすり替わらない。
「どっちにしろ、来週の話よね。その、ウチに来てとか何とかいう話。つまり、今すぐじゃなくって、来週までに考えておきさえすればいいってことでしょ。そういう話よね? ね?」
 問題の先送り。こういう時はこれに限る。
 ようやく、礼治もビールに手を伸ばした。納得のいかない表情のままだが、いちおう私には、時間的猶予が与えられたようである。
 それからしばらくは、二人とも黙ってビールを飲み続けた。私にとってそれは、決して嫌な沈黙などではない。彼と過ごす時間そのものに、大きな価値があるということを、私ははっきりと自覚していた。手を伸ばしさえすれば、すぐ届く位置に成宮礼治がいる。今はもう少しだけ、この距離感を保ち続けたかった。
 店内のざわめきをBGMに、私は、二人の居酒屋初デートのことを思い出していた。
 お前も浮気すればいいだろ。
 きっかけは、もちろん敏明のその発言からである。私はそれを実行するつもりでいた。浮気夫に対する復讐。それが理由だった。私のことを、浮気できるようなタイプの女ではないと、敏明は思っていたに違いない。それに対する悔しさもあっただろう。浮気される側の気持ちを理解してもらいたい。そんな思いもどこかにあっただろう。
 俺も浮気をやめるから、お前も考え直してくれ。今までのことは、すべて俺の過ちだった。
 敏明にそう言わせたかった。頭を下げさせたかった。それが、私の描いていたシナリオ。正確に言うなら、私の描いていた出来の悪いシナリオ、ということになるのだろう。
 その出来の悪いシナリオに加え、私は、キャスティングに対してまでも、大きなミスを犯してしまっていた。たまたま通っていたボクシングジムのトレーナー、成宮礼治。私の相手役に抜擢したのが彼だった。その態度を見れば、私に好意を持っていることはすぐにわかった。価値観が異なり、共通点の少ない年下男性。相手役にはふさわしいと思えた。しかし……。
 大根女優は、芝居の相手役に、いつの間にか本気の恋をしてしまっていたのだった。つまりそれは、シナリオの崩壊を意味している。いや、崩壊していたシナリオに、ようやく気づいたと言うべきだろうか。
 夫と仲直りしたから、もうあなたとはさよならよ。
 ラストシーンで、私が口にする予定だったのがそのセリフだ。考えれば考えるほど間抜けなセリフである。
 惚れてる。ウチに来てもらいたい。
 礼治のその言葉は、まさに私が望んでいた言葉そのものだった。だからこそ、簡単に首を縦に振ることができないのである。だからこそ、こんなにも動揺してしまっているのである。
「セシルさん」
 ジョッキを空にすると、礼治は遠慮がちに口を開いた。
「俺、やっぱり、セシルさんを困らせるようなこと言ってますか?」
「困らせるようなこと言ってる」
「さっき言ったことは忘れてください。謝ります」
「忘れられないし、誤ってほしいとも思わない」
 ついつい意地悪な口調になってしまう私。これでは、礼治が再び沈黙するのも当然のことだった。
 彼の告白が、こんなにもうれしいというのに、その気持ちを素直に表す言葉を、今の私は持ち合わせていなかった。頭の中の“恋愛マニュアル”を急いで開いてみる。“忘れられない”という言葉は、“男に嫌われるしつこい女のセリフ”という項目に記されてあった。
「わ、忘れられないってことじゃなくて……、忘れたくない。そう。さっきのは、忘れたくないっていう意味だからね」
 慌てて修正してみた。この微妙な言葉の意味合いを、どうか察してほしい。
 反応ゼロ。
 ページをめくり、“相手よりも優位に立つためのセリフ”という項目を開く。
「私、そんなに軽い女じゃないのよ」
 試しに使ってみた。
 今度は少しだけ反応があった。わずかに眉根を寄せる礼治。申しわけなく思っているのか、それとも不愉快に思っているのか、私には判断がつかない。
「もし、ただの遊び相手を探してるだけだったら、他の子を口説いた方が早いわよ」
 もう一つのセリフを試してみた。
 礼治の眉間の皺がたちまち深くなる。はっきりとした不機嫌な反応。
「今夜は、もうお開きっていうことで、いいっスよね」
 腰を上げる礼治。反射的に私も席を立っていた。誤解されたまま帰すわけには絶対にいかない。そう思うと、身体は勝手に反応し、私の手はしっかりと彼の腕を掴んでいた。
「ちょっと待って。まだゴングは鳴ってないでしょ。私、言い忘れてたことが、一つだけ、うん。あと一つだけ、言い忘れてたことがあるの」
「な、何スか?」
「好き。礼治君のことが、大好きなの」
 気がつくと、私と礼治は唇を重ねていた。冷やかしの声や口笛の音が、店内からかすかに聞こえてくる。
 愛を告白するのに、ふさわしい場所も、ふさわしくない場所もない。相手への思いを伝えるのに、名ゼリフなど不要である。そんな当たり前のことに、たった今気づかされた。
 重ね合わせた唇と唇。そこから伝わる彼の体温を感じながら、私は頭の中の“恋愛マニュアル”をそっと破り捨てた。

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17 別れのシュミレーション
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