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不倫のライセンス 15 彼女の正体

15 彼女の正体

 もしも、私たち夫婦の間に子供がいたとしたら……。
 不妊治療についての記事を読んでいるせいだろう。私の脳裏に、ふとそんな考えがよぎる。結婚生活が三年を過ぎようとしていた頃、一度医者に相談してみようかと、私の方から提案したことがあった。自然の摂理に従いたい。生命の誕生に科学が関わるべきではない。それが敏明の答えだった。
 私にも特に異論はなく、それ以来、二人の間で不妊治療の話題はタブーとなった。
 もしも、子供がいたとしたら、夫婦の関係も、今とは違ったものになっていただろうか。
 私は、立ち読みしていた週刊誌を閉じた。意味のない馬鹿な考え。心の中で自らを叱咤する。敏明への気持ちが、日増しに離れていっている今、私には、他に考えておかなければいけないことがたくさんあるではないか。
 ジムでのトレーニングが終わった後、私には必ず立ち寄る書店があった。礼治の仕事が終了するまでの、貴重な時間潰しの場所である。
 求人誌に目が止まり、そのうちの一冊に手を伸ばす。離婚後の生活手段。きっとこれも、私が今考えておかなければいけないことの一つなのだろう。
 沈みがちな気持ちのまま、パラパラとページをめくる。と、その時だった。
「セシルさん」
 振り返り、声の主を確認する。印象に残る大きな瞳。そして視線の強さ。私の視界に、真っ先に飛びこんできたのがそれだった。
「いらっしゃってたんですね。びっくりです」
 一瞬だけ、奇妙な既視感に襲われかかったが、何てことはない。数日前の居酒屋で、当の彼女、生田麻美自身が口にした言葉だった。
「ジムの会員さんから、この本屋さんのこと聞いて……。あ、なんか、本屋にさん付けするのって、ちょっと変ですね。アハハ」
 ちょっと変ですね。アハハなのは彼女の方である。偶然を装ったかのような、わざとらしい芝居も、やはり居酒屋の時と同じだった。そうなると今度は、礼治との関係についての質問になるのだろうか。
「成宮さんとは、いつもここで待ち合わせしてるんですか?」
 やっぱりそうだった。私が手にしている求人誌の中に、“預言者募集”の広告はあるだろうか。
「う、うん。いや、いつもというわけでは……。そういえば、本屋にさん付けするのって、確かに変かも。どういう理由なんだろうね」
 どういう理由でも構わない。今重要なのは、彼女が見せる不自然な言動、そして、彼女が私に寄せる関心、その理由の方だった。
「もし、ご迷惑でなければ、セシルさんとどこかでお話したいんですけど」
「ええ、そうね」
 言葉よりも先に、私の首は縦に折れていた。ほとんど無意識に近い反応である。“女の勘”というものがあるとするなら、私のその能力は、たった今働き出したに違いない。

 私と麻美は、書店を出てすぐ近くの喫茶店へと入った。礼治との待ち合わせ時間までには、残り二時間程度。それほど遠くへ足を延ばすわけにはいかない。幸い店内は空いており、他人の目を気にする心配はなさそうだった。
「セシルさんって結婚してたんですね。他の会員さんから聞きました。びっくりです」
 コーヒーの注文を済ませると、麻美がさっそく口を開いた。なぜかうれしそうな口調で、「ぜんぜん主婦くささがないんだもん」と小声で続ける。いたずらっぽい彼女のその微笑は、私に“小悪魔”という言葉を連想させた。
「成宮さんも、そのこと、セシルさんが結婚してるってこと、ちゃんとわかってるんですよね」
「ええ、まあ……」
「旦那さんの方はどうなんですか? 旦那さんも、セシルさんと成宮さんのお付き合いのことを……」
「ちょ、ちょっと待って麻美ちゃん」
 私は片手を小さく上げて、麻美の言葉を途中で遮った。
「お付き合いって言っても、私たち、ただの飲み友達みたいなものなのよ。話だって、ボクシングのことばっかりだし、麻美ちゃんが想像してるような、そんなロマンチックな関係なんかじゃないんだから」
「それでも、普通の男の人だったら、そういうの嫌がりますよね。深い関係じゃなくても、自分の奥さんが、夜遅くなるまで、他の男性と一緒に過ごしてるだなんてこと」
「そうなのかなあ、普通の夫婦って……。うちの人、そういうのあまりうるさくないの。まだ、子供がいないっていうのもあると思うんだけど……」
 頼んだコーヒーがテーブルに置かれる間、私と麻美は、お互いに顔を見合わせたまま沈黙した。ウェイトレスが去った後も、私は麻美から視線をはずさなかった。彼女の正体をはっきりさせるまでは、決してこの場から逃げ出すわけにはいかない。自分にそう強く言い聞かせる。
「セシルさんの旦那さんって、どんな人なんですか?」
 沈黙を破ったのは麻美の方だった。そして、それを耳にした瞬間、私の“女の勘”は、確信へと変化したのだった。
「どんな人って……。それは、きっとあなたが知っている通りの人よ」
 私の言葉にも、麻美の表情に動揺の色が浮かぶことはなかった。それどころか、口元がわずかに緩んだようにさえ見える。ようやく気づいたのね。今すぐにでも、そんなセリフが飛び出してきそうな気がした。
「麻美ちゃん、うちの人、敏明さんのこと、知ってるのよね」
「知っています」
 即答だった。あっさりと事実を認める麻美にも驚かされたが、その事実を、冷静に受け止めている自分自身にはもっと驚かされた。一般にこういう状況のことを、“修羅場”と呼ぶのではなかっただろうか。なぜ、これほど冷静でいられるのか。自らの心の内が理解できなかった。
「敏明さんとは、以前お付き合いしていたことがありました。結局、私振られちゃったんですけど……」
 コーヒーカップ片手に、黙って麻美の話に耳を傾けている今の私は、やはりどこか普通ではないのだろう。だからといって、いきなり彼女に掴みかかり、口汚い言葉で罵るという気にもなれない。
「自分でもよくわからないんですけど、私、急に知りたくなっちゃったんです。敏明さんの奥さんが、どんな人なのかってこと」
「そうだったんだあ。別に、私の命を狙ってたわけじゃないのね」
「はい。命は狙ってません。でも……、妻の座なら狙ってました。そのチャンスが私にあるかどうか、そのことを、セシルさんに会って確かめたかったのかもしれません」
「そう……」
「セシルさん、怒らないんですね」
「やっぱり怒った方がいいのかな。“泥棒猫”って言葉、きっとこういうタイミングで使うものだったのね」
 おどける私に釣られて、麻美も小さな笑い声を上げた。
「それだけ、心が離れちゃったってことかも……」
 気がつくと、そんな呟きを漏らしていた。それはコーヒーの香りと混ざり合い、やがては、私の舌の上で、わずかな苦みとして残った。
 心の距離……。
 夫の浮気相手だった女性と、こうして顔を合わせているというのに、これだけ冷静な気持ちでいられるということは、結局そういうことなのだろう。自身の呟きに得心がいった。
「でも、敏明さんの方は愛してますよね、セシルさんのことを」
 麻美の言葉にどう反応していいのかわからず、私はただ黙って小首を傾げてみせた。彼女と夫との間で、いったいどんなやり取りがあったのか。それがわかるほど、私が持つ“女の勘”の精度は高くはない。
「浮気する男の人って、自分の奥さんの悪口言う人がほとんどじゃないですかあ。でも違うんですよね、敏明さんの場合は……。妻との離婚をほのめかし、君に無意味な期待を抱かせるつもりはない。もしも君が、将来的に結婚というシステムを望んでいるのであれば、独身男性との交際を選択すべきだ。最初にそうはっきりと言われたんですよ。あの時は、ホントびっくりでした」
 その時のことを思い出しているのだろう。麻美が愉快そうに笑った。半分はあきれたようにも、半分は感心したようにも見える。
 確かに、夫が口にしそうな言葉ではある。ただし、それが私に対する愛情からくるものなのかはわからない。何より、今一番わからなくなってきているのが、敏明に対する私自身の気持ちだった。

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