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不倫のライセンス 14 心の隙間

14 心の隙間

 義母の絹江が倒れたと聞き、私は大急ぎで病院へと駆けつけた。
「熱中症って、今は言うのね。どうやら私、それだったみたいなの。昔は、よく日射病って言ってたんだけど、あなた、それ聞いたことある?」
 歯切れのいい口調で話す絹江。顔色も悪くない。私が病室のドアを開けた時には、すでにベッドの上で上半身を起こしていた。いつも通りの、いや、いつも以上の、と言った方がいいぐらいの陽気さである。
 室内から漏れ聞こえていたにぎやかな話し声は、やはり義母のものだった。会話の相手は、隣のベッドの女性である。絹江とは同年代ぐらいなのだろう。名を和代といい、義母とはもうすっかり意気投合している様子だった。
「日射病で思い出したんだけど……」
 麦茶の入ったグラスを手に、今度は和代が声を弾ませる。こちらも義母同様、入院患者とは思えないほどの元気さである。
「今はねえ。絹さん、看護婦っていう言い方も駄目なのよ」
「和ちゃん、それ常識よ、常識。今は、看護師って呼ばなきゃいけないんでしょ」
「それがねえ。あれなのよ。頭ではちゃんとわかってるくせに、私、あれなの。ついつい看護婦って言っちゃうのね」
「そんなの、別に逮捕されるわけじゃないんだから、どう呼んだって構わないじゃない」
「構わないっていってもねえ。あれよ、あれなのよ。私が間違えると、今は看護師と言うんですよって、いちいち注意されるじゃない」
「それ、注意ってことじゃないでしょ。大げさね、和ちゃんは。そうやって、いつも考えすぎてばかりいるから、日射病にかかっちゃうのよ。私もだけどね」
「絹さん、それ、日射病じゃなくて、熱中症。さっき、看護婦さんから注意されたばかりじゃないの」
 今日初めて会った二人だというのに、すでに親友同士と言ってもいいぐらいの雰囲気だった。
「それにしても、きれいなお嫁さんねえ」
「ハーフなのよ、ハーフ。日本とイタリア、セシルさん、イタリアでよかったのよね?」
 絹江の横で梨の皮を剥いていた私は、いったんその手を止めた。小さくかぶりを振り、「フランス、母がフランス人なんです」と、最後の部分は和代に向かって言う。
 感心しているような、不思議がっているような、和代が見せる表情の変化は、私にとって特別珍しいものではない。むしろ、予想通りの反応と言っていいだろう。
 もう一つだけ、私には予想のできることがあった。この後の展開である。
「そうそう、フランスだったわね。和ちゃん、うちの自慢のお嫁さんなのよ。本当に、息子にはもったいないぐらいのね。お料理も上手で、おまけにこんなに美人でしょ。ハーフよ、ハーフ。絵も得意で、そりゃあプロみたいな絵を描くんだから。そうだ。今度、和ちゃんにも見せてあげる」
 ついに始まってしまった。義母によるいつもの嫁自慢である。嫁批判よりは、よっぽどましなのだろう。とはいえ、度を越した褒め言葉というのも考え物である。
 私に釣り合う男性は、ハリウッドスターか、それともどこかの国の王子様。私の料理の腕前は、五つ星レストランの総料理長レベル。私の美貌に、クレオパトラは後ずさり、私の絵の才能に、ダ・ヴィンチは腰を抜かす。絹江の話によると、どうやら私はそういう人物らしい。
「そういえば、あなたたち、結婚記念日だったんじゃない? 確か昨日……」
「あ、はい。二日前に、です」
「どうだったの? 敏明から、何かプレゼントあった?」
「ええ、まあ、ちょっとしたものを……」
「もう五年経つのねえ。早いわ、本当に」
 絹江に向かって曖昧にうなずき、私は梨を乗せた皿を手に立ち上がった。隣のベッドにいる和代と目が合う。彼女の視線は、興味津々といった風に、先ほどから私の姿をとらえて離そうとしない。興味の対象が、梨であればいいのだが。
「お梨です。いかがですか?」
「あらあ、ありがとう。セリーヌさん、お子様はいらっしゃるの?」
 和代にしてみれば素朴な質問でも、私にとってそれは、あまり触れてはほしくない話題だった。おそらく、義母にとっても同じだろう。
「子供はまだなの。それから、セリーヌじゃなくてセシル。杉本セシルよ」
 私の代わりに答えたのは絹江だった。その口調には、どこか寂しげで、どこか苛立たしげな響きが感じられる。
 廊下の方から、子供のはしゃぎ声が聞こえてきた。ドアが開き、幼稚園児ぐらいの小さな女の子が飛びこんでくる。少し遅れて姿を見せたのは、たぶんその子の母親なのだろう。「走っちゃいけません」と注意するその表情には、女親特有の温かみがあった。
「あらあら、よく来たわねえ。ちょうどよかった。メグちゃん、お梨好きだったわよね」
 その親子を、満面の笑みで迎えたのは和代だった。私に対する興味は、一瞬にして消え去ったらしい。すぐに、孫とおばあちゃんによる微笑ましいやり取りが始まった。
 ふと絹江に目をやる。隣のベッドを見つめる義母の顔には、“うらやましい”と書いてあった。
 私と絹江の間には、いわゆる“嫁姑問題”というものは存在しない。息子夫婦の結婚生活に、あれこれ干渉する暇があるぐらいなら、習い事や、旅行する回数を増やした方がよっぽどいい。限られた大切な時間というものは、自らの人生を、より豊かにするためにこそ使うべきだ。ありがたいことに、義母はそういう考えの女性である。しかし、私にはわかっていた。孫の誕生を絹江が強く願っていることを。
「あなた、焦ることぜんぜんないのよ」
 絹江が小さく囁く。その意味をすぐには理解できず、私は顔を寄せ聞き返した。
 ややあってから、「セシルさん、あなた、まだ二十九よね」と、絹江がためらいがちに続けた。
「あの子、敏明を産んだのは、私が三十二の時だもの。あなたは、まだまだ諦めるような年齢じゃないのよ。だから焦っちゃ駄目、焦っちゃ。子供は授かり物なんだから。きっと大丈夫、きっとよ」
 思いやり深い彼女の性格が、今の私の心には痛すぎた。女の子を見つめる私の表情を見て、絹江もまた私と同じ感想を持ったのだろう。
 うらやましい? 自問してみるがよくわからない。我が子の誕生を、果たして私は望んでいただろうか。少なくとも、積極的に望んでいたとは決して言えない。その自覚ならある。親という立場になることを、私は恐れていた。両親からの愛情に、十分満たされないまま大人になったこの私が、いったいどうやって我が子に愛情を注げばいいのだろう。考えるたび、いつも不安に襲われていた。

 病院からの帰り道、一組の親子とすれ違った。野球帽をかぶったわんぱくそうな男の子と、大きく逞しい体躯をしたお父さんである。二人で何を話しているのか、男の子が口を開くたび、お父さんの顔にまぶしそうな笑みが浮かぶ。
 もし、子供が生まれたら……。
 結婚して間もない頃、敏明がよく口にしていた言葉を思い出す。その言葉の後に語られるのは、夫が理想とする家族の風景だった。
 私とは異なり、敏明が我が子の誕生を切望していたのは間違いない。口には出さないものの、いつしか夫は、どこかでその希望を捨ててしまったのだろう。子供の話をしなくなって、もうずいぶんになる。一年前、いや、すでに二年ぐらいは経っているだろうか。
 二年前……。
 私は思わず足を止め、その場に立ちつくしてしまった。
 子供をあきらめた時期と、浮気が始まった時期。なぜかその二つが、私の中で突然強く結びついてしまったのである。もちろん明確な根拠など何もない。しかし、一度浮かび上がってしまったそのかんがえは、あまりに強固だった。それ以外の答えなど、一切あろうはずがないとさえ思えてくる。
 我が子の誕生という、敏明にとっての切なる希望。それをあきらめた瞬間、心のどこかに大きな穴が開いたに違いない。妻である私の存在だけでは、夫の心の隙間を埋めることはできなかったのだろうか。そもそも、親になることを恐れていた私のその精神が、肉体に何らかの影響を与えたのではないだろうか。
 私は激しく首を打ち振った。頭に浮かぶ思考を必死に追い払う。これ以上は何も考えたくない。考えてはいけないのだ。
 その時、ポケットの携帯電話が震動を始めた。すぐに取り出し表示を確認。“畑中泉美”とある。嫌な予感。
『セ、セシル、セシルさんですか……』
 しかも泣いている。すごく嫌な予感。
「泉美ちゃんね。そんなに泣いてどうしたの? 初めに言っておくけど、勉君との問題だったら、弁護士さんに頼んだ方がいいと思う。もっと手っ取り早く解決したいんだったら、いっそのこと、殺し屋に頼むっていう選択肢も……」
『で、できたんです。私、できたんですよ』
「できた? な、何のこと?」
『子供に決まってるじゃないですかあ。私、妊娠したんですよ。できたんです。赤ちゃんができたんですよ。今お腹の中にベイビーがいるんです。私、ママになるんですよ。セシルさん、ママですよ、ママ。この幸せを、早く誰かに伝えたくって。まずはセシルさんからです。セシルさん、私たちのこと、いろいろ心配してくれてたじゃないですかあ。これでもう大丈夫みたいです。ダーリンも大喜びして、すごくやさしくなっちゃって。セシルさん聞いてますか? 私、今とっても幸せなんです。とってもとってもですよ』

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15 彼女の正体
不倫のライセンス 目次

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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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No title

こんにちは~ ヽ(^。^)ノ

懐かしい!
この章は、心にグッと来ました。
子供が欲しくてたまらないのに授からない私と、子供への愛を不安に思うセシル。

私に子供が居たら、
案ずるより産むが易しよ~なんて言ったんでしょうが。

姑さんの気の使い方は嬉しいですね。
でも、有り難いけれど、触れないで欲しい、言葉にしないで欲しい、でしょうね。
心の奥底では、早く孫をと望んでいるんでしょうから。

心に含んだものを隠しながらの言葉の描写。
居がちな、適当おばちゃん。
さすがに、うまいですわ~!!
コツを教えてくださいな。

Re: No title

ごんにゃんさん、コメントありがとうございます。
パソコンも、気象状況も大変だったみたいですね。

> 懐かしい!
> この章は、心にグッと来ました。

ありがとうございます。
敏明の母、絹江は、今回一度だけの登場でしたが、どんなキャラクターにするかについては、ずいぶんと悩みました。
息子を溺愛し、嫁には厳しい、というのが、最初に思いついたキャラクターだったんですが、これでは、いかにもステレオタイプすぎる。
結局は、自立心が高く思いやり深いという、理想的とも言えるような人物になりました。
たとえ人を思いやった言葉でも、時に、相手を苦しめる場合もある。そんな微妙な部分が、読者の方々にうまく伝わってくれてるといいんですが。

その後、絹江は息を引き取ることになる。
彼女が、セシルに向かって最後に残した言葉が、「私の娘になってくれてありがとう」
プロットの段階では、こういったエピソードを予定していたんですが、これ、ちょっと重すぎるかな、ということでカットしました。

これ以外にも、カットしたエピソードはたくさんあり、逆に、予定外だったエピソードもいくつかあるので、全部合わせると、たぶん3倍ぐらいの分量になったはずなんです。
人の未来が不確実なのと同じで、登場人物たちも、なかなか作者の言うことを聞いてくれません。

No title

こんにちは~ ヽ(^。^)ノ

そういう展開も有りですね。
うわ~!
どんなだっただろう?
みことさんが、どんな風に書くのか、気になります。

最期の言葉、有りがちで想像が付いたとしても、嫁にとっては感動です。
分かっていながら、きっと、泣くと思います。
私の知り合いに、イジメ抜かれたけれど、最期にそう言われた事で姑を許したって方が何名かいらっしゃいます。

言葉って、難しいし、優しいし、嬉しいし、辛いし・・・・
とっても不思議ですね。
だけど、言葉を使える幸せ!
言葉を紡げる幸せ!

訳の分からないコメントの結論:

私は子供は居ないけれど、幸せだ―――!

Re: No title

ごんにゃんさん、コメントありがとうございます。

> 最期の言葉、有りがちで想像が付いたとしても、嫁にとっては感動です。
> 分かっていながら、きっと、泣くと思います。

お、そうですか。
もしこの展開だと、ちょっとわざとらしくなったんじゃないんですかね。
いかにも、泣かせよう泣かせようという感じの、過剰演出のテレビドラマなどを見ると、逆に白けてしまうってことないですか?
ついつい、作り手の立場になって見てしまう、という私の性格のせいかな。

思いついたものの、実際には、書かなかった、書けなかったという部分が、他にもたくさんあって、いつかサイドストーリーという形で、発表することができればいいなと思ってます。
特に、『松葉杖の少女』を、セシルパパがどんな思いで描いたのか。これはぜひとも書きたい部分です。

> 私は子供は居ないけれど、幸せだ―――!

ああ、子供に注ぐ分の愛情を、きっと今、猫たちが独占してるんですね。
そりゃあ、ぴこちゃんもわがままに育つはずだ。

No title

こんばんは~ ヽ(^。^)ノ
こちらに食い付き中の私です!

泣かせよう泣かせようという感じの、過剰演出のテレビドラマ・・・

それでも、書き手によっては、感動ボロボロ涙になりますよ!
読んでみたいです。
そういう立場にある人にとっては、欲しいと思います。

『松葉杖の少女』
これは私の原点でもあり、是非是非、お聞かせ願いたいです。
突っ込んでお聞きしていい物か、遠慮しちゃったりする私です。

番外編としてですか?
もう!
楽しみが増えちゃって嬉しいですが!!!

Re: No title

ごんにゃんさん、コメントありがとうございます。

> それでも、書き手によっては、感動ボロボロ涙になりますよ!

そうなんです。すべては、書き手の腕次第ってことなんですよね。
泣かせる、笑わせる、驚かせる、怖がらせる。こういったことを、自在に表現できる書き手になりたいものです。

> 『松葉杖の少女』
> これは私の原点でもあり、是非是非、お聞かせ願いたいです。

ありがとうございます。うれしいです。

自分たちの離婚によって、娘に苦しい思いをさせてしまった。希望を失うほどの。心がやせ細るほどの。そんな苦しみを。
セシルに対しての謝罪の意識が、パパにあの絵を描かせたのかもしれません。
もちろん、口に出して謝ったりはしませんけどね。まあ、あの性格ですから(笑)

話がどんどん広がっていく、という楽しさがある一方、一つの作品世界だけに、こだわりすぎることで、別の世界を描きにくくなる。最近そんなジレンマを感じてます。

プロフィール

片瀬みこと

Author:片瀬みこと
札幌在住のアマチュア作家

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