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不倫のライセンス 12 どうしても手に入れたいもの

12 どうしても手に入れたいもの

 リングの上に立つと、もうそれだけで不思議と気分が高揚してくる。私が向かうべき相手は成宮礼治。とは言っても、もちろん試合などではない。
「ペース配分を考えてくださいね。いつもみたいに、頭っから飛ばしすぎないように」
 いきなりの指摘。褒められて伸びる私の性格を、彼はいまだに理解していないようである。ここは素直に指示に従い、礼治めがけて軽くジャブを繰り出す。
 ジムのトレーニングで、私が最も気に入っているのが、このミット打ちだった。対象物が移動するためだろう。ほんの少しだけ、試合をしているような気分が味わえる。
「足が止まってますよ。肩に力が入りすぎてます。よそ見をしないでください」
 こんな細かい指示さえなければ、私は毎日でもジムに通っていただろう。せっかくのチャンピオン気分に水を差すような、こんな口うるさい支持さえなければ。
 そんな不満をエネルギーに変え、私は渾身の右ストレートをミットへ打ちこんだ。
 バシッという小気味のいい音。そして、拳に伝わる何とも言えない感触。これがあるからボクシングはやめられない。
「もっと、足を使うんです」
 バシッ!
「ミットに集中してください」
 バシッ!
「ぜんぜん体重が乗ってませんよ」
 バシッ!
「拳に、もっと気持ちをこめて」
 バシッ!
「誰か、憎い人の顔を想像してみてください」
 バシバシバシバシバシバシバシッ!
「や、やりすぎです」
 バシバシバシバシバシバシバシッ!
 誰かに見つめられている。ミット打ちをしている間、私はずっとその視線を背中で感じていた。あの人は外国人だろうか、といった程度の、ただの興味本位の視線には慣れていた。しかし、それとは何かが違う。敵意。なぜかそんな言葉が脳裏をかすめる。

「ああ、生田さん。生田麻美さんですよ」
 礼治はあっさりとその名を口にした。
 年齢は二十代前半ぐらい。ショートカットの黒髪。小柄で意志の強そうな顔立ち。いつもの居酒屋に入るなり、私は早口で彼女の特徴を並べ立てた。そして今、その正体が明らかにされたところだった。
「生田さん、今週会員になったばかりなんですけど、なぜか、セシルさんのこと……」
 彼女の存在には、礼治も何らかの違和感を持っていたらしい。ただ首をひねるばかりで、途切れた言葉の続きがなかなか出てこない。
「ジロジロ見てた?」
 私が後を引き継ぐと、すぐに礼治も、「そうっス」と大きくうなずいた。
「それだけじゃなくて、何だかんだと、セシルさんのことばかり質問してくるんですよ。知り合いじゃないんスよねえ」
「私の華麗なテクニックを見て、女子ボクシングのヨーロッパチャンピオンとでも思ったのかな」
 おどけてはみたものの、私の心は決して穏やかなものではなかった。彼女に何か恨まれるようなことをした覚えはない。それどころか、生田麻美という名前を耳にするのですら、今日が初めてだったのだ。
 トレーニングの間、気配のする方をへと視線を向けると、そこには必ず彼女の姿があった。私と目が合っても、慌てて視線をはずすこともない。彼女の射るようなその瞳の輝き。耐えられずに目を背けたのは私の方だった。
 思い出そうとはしてみるものの、やはり彼女に心当たりなどはない。しかし、向こうの方は、私のことを知っているように見える。いや、知っている以上のものが、あの強い視線からは感じられる。
「あっ……」
 次の瞬間、思わず声を漏らしていた。ぼんやりと店の入口に向けられていた私の視界に、彼女、生田麻美が、今まさに飛びこんできたところだった。
 私に釣られ、礼治が後ろを振り返る。まっすぐこちらへと近づく彼女の足取りに、私たち二人は言葉を交わす余裕さえなかった。
「いらっしゃってたんですね。びっくりです」
 軽く頭を下げてから、麻美は言った。ぜんぜんびっくりしたという表情ではない。
「ジムの近くに、いい店があるって、会員さんから教えてもらって」
「い、生田さん、一人で?」
 礼治が尋ねる。手にはなぜか爪楊枝の容器。戸惑いを、素直に態度で示す性格なのだろう。
「そうなんです。私、まだジムに入ったばかりじゃないですかあ。何となく、他の会員さんにも声かけづらくて……。よかったら、ご一緒していいですか? お邪魔ですか?」
 最後の言葉は、私に向けられたものだった。お邪魔です。心の中でそう呟きながら、私は隣の席を指し示した。
「どうぞ」
「じゃあ、遠慮なく」
 腰を下ろすと、麻美はすぐにビールと焼き鳥を注文した。本当に遠慮がない。
「ジムにいらした方ですよね? 私、生田麻美っていいます。これからよろしくお願いしますね、先輩」
 そして、いきなり握手を求められる。
「杉本です。私も、まだ三カ月ぐらいなんですよ」
 手を差し出すと、麻美はうれしそうにそれを強く握り返してきた。
「杉本……、下の方も聞いていいですか?」
「セシル。杉本セシルっていいます。よろしく」
「へえ。何だか、カッコいい名前」
「そうかなあ。人からは、よくインチキくさい名前だって言われるけど」
「プライバシーがどうとか言って、成宮さん、何度聞いても教えてくれなかったんですよ。名前ぐらい、教えてくれたっていいと思いません? セシルさん。あ、セシルさんって呼んでも構いませんか?」
「どうぞどうぞ」
「じゃあ遠慮なく。セシルさん、私のことは麻美って呼び捨てにしてください」
 弾けるような笑みを浮かべ、麻美は豪快に焼き鳥を頬張った。新たに、唐揚げと肉じゃがの注文をする。本当に遠慮がない。
「ボクシングって、お腹空きますよね」
「う、うん。麻美、ちゃんは、どうしてジムに通おうって思ったの? きっかけは?」
「きっかけですか……」
 少し間があった。麻美は残りのビールを一気に飲み干し、それから、改めてその射るような視線を向けてきた。
「もっと、強くなりたいなあって……。強くならなきゃ、かな? いろいろ、戦わなきゃいけないことってあるじゃないですかあ。どうしても手に入れたいもののために。セシルさん、そういうのないですか?」
「どうかなあ……」
 私は苦笑しながら、チラリと礼治に視線を送った。“助け舟要請”のサインである。
「どうしても手に入れたいものっていえば、俺だったら、やっぱりチャンピオンベルトかな」
「今は、セシルさんに聞いてるんです」
「あ、ごめん」
 礼治は眉尻を下げ、チラリと私に視線を送った。“助け舟沈没”のサインである。
「私が、どうしても手に入れたいものっていえば……、とりあえず、その皿の上に一つだけ残っている唐揚げかな」
 麻美は無邪気に笑い、唐揚げの皿を私の方へと寄せた。
「この店、よく二人っきりで来るんですか?」
 私と礼治を、代わる代わるに見つめる麻美。またしても答えにくい質問。舟を一艘沈めたぐらいでは、まだまだ彼女の気は済まないらしい。
「ふ、二人っきりというか、三人きりというか、四人きりというか……」
 すでに溺れかかっている礼治。手にはいまだに爪楊枝の容器。もしも、溺死を防ぐことのできる魔法の容器であるなら、それは今の私にとっても必要なものだ。
「成宮さんとセシルさん、とってもいい雰囲気に見えます」
「えっ」
 私と礼治の口から、ほぼ同時に声が上がった。もちろん素っ頓狂な声である。それから、お互いの顔を見合せた。もちろん情けない困り顔である。
「わかってますわかってます。そんなに困った顔しないでくださいよ。私、誰にもバラしませんから。遠慮なく言わせてもらいますけど、これって、秘密のお付き合いなんですよね? 何だか、そういうのってロマンチック。お二人のこと、私応援します」
 はしゃいだ声のまま、ビールの追加注文をする麻美。
 そんな遠慮知らずの彼女を一瞥してから、私と礼治は、改めて顔を見合わせ苦笑するのだった。“今度居酒屋で会う時には、二人とも変装してきた方がいいかもね”のサインである。

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お久しぶりです

暑いですが体調などはいかがですか。

久しぶりにお話を読ませていただきました。
いつもならがテンポがよく読みやすい文章だなぁとしみじみ感心しています。

更新後すぐには読めないかもしれませんが、またお邪魔させていただきます。

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Re: お久しぶりです

凪さん、コメントありがとうございます。

> 暑いですが体調などはいかがですか。

暑いといっても、それほど苦にはなっていないです。何しろ札幌ですからね。多少、アイスを食べる回数が増えるぐらいでしょうか。ちなみに、昔から好きなのは、「あずきバー」です。
凪さんは、確か関西の方でしたよね。大変そうだなあ。私だったら執筆作業どころじゃなくなってしまうかも。

> いつもならがテンポがよく読みやすい文章だなぁとしみじみ感心しています。

ありがとうございます。うれしいです。
この“テンポ”は、小説を書く上での、重要なポイントの一つですよね。
過剰な説明によって、物語のテンポが崩れてしまう、というのはよくあることです。

> 更新後すぐには読めないかもしれませんが、またお邪魔させていただきます。

はい、いつでもお待ちしています。
どうか、お体を大切に。

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片瀬みこと

Author:片瀬みこと
札幌在住のアマチュア作家

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