スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

不倫のライセンス 8 嘘つき

8 嘘つき

 窓辺に並べられた観葉植物。色とりどりの熱帯魚が泳ぎまわる水槽。おそらくこれらは、部屋に訪れた人を、少しでもリラックスさせようとする配慮なのだろう。残念ながら、今の私にはあまり効果がなかったようだが。
 生き生きと育って見える植物も、やがては輝きを失い枯れ果てていくだろう。仲良さそうに泳ぐペアの魚も、やがてはその良好な関係にヒビが入るに違いない。メス魚の方は妊娠しているように見えるが、果たして生まれてくる子供は幸せになれるだろうか。
 法律事務所の応接室で、私は一人苦笑を漏らしていた。ネガティブな発想も、ここまでくると重病である。私は、これほどまでに悲観的な性格だっただろうか。そして、こんなにも脆い人間だっただろうか。
 人前で、思いがけなく流してしまった涙。友人夫婦の口喧嘩をやめさせるには、十分すぎるほどの威力はあった。しかし、その涙で一番のショックを受けたのは、間違いなく私自身だったのである。
「ごめんね、待たせちゃって」
 ドアの開く音に続いて、私の耳に、聞きなれた女性の声が飛びこんできた。
「こっちこそごめん。忙しかったんでしょ」
 立ち上がりかけた私を見て、彼女は、「いいからいいから」と軽く微笑み、足早にソファーへと腰を下ろした。
 新山瞳子。弁護士として働く彼女との付き合いは古い。最近では、二人で会って話す機会も、以前よりだいぶ少なくなっていたが、その颯爽とした雰囲気は、女子高時代と何も変わってはいない。いや、むしろ女性としての強さに磨きがかかったようにさえ見える。
「この忙しさは、私が望んだものだから。それに、セシルに一度見せたかったの、この城をね」
「自分の事務所なんて……。やっぱり瞳子はすごいよ」
 素直にそう思えた。努力家で、何事にも動じない彼女の性格を考えれば、現在のこの成功も、驚くようなことではないのかもしれない。瞳子は昔から、常に私よりも一歩か二歩前を行くような存在だった。そんな思いにかられるのは今でも変わらない。弁護士としてさらなる成長を遂げようと、全速力で駆けていく彼女の後姿を、専業主婦の私は、買い物かごを抱えたままの頼りない足取りで、歯ぎしりしながら必死に追いかけている。
 トレーを手にした若い男性が、「失礼します」と部屋の中に入ってきた。紅茶と星形のクッキーが、テーブルの上に置かれる。私が礼を言うと、彼も軽く頭を下げすぐに出て行った。
「お城を守る兵隊さん?」
 私はおどけた口調で瞳子を見やった。
「彼、加藤君。私の男なの」
「はあ……」
 予想外の答えに、思わずつまんだクッキーを落としてしまいそうになる。どうやら私は、星を掴めない運命にあるらしい。
「そ、そうなんだ。じゃあ、兵隊さんと言うよりは、白馬に乗った王子様ってとこかな」
「まあ、彼がそうなれるかどうかは、これからのしつけ方にかかってるんだろうけどね」
「しつけ方って、白馬の? 違うよね」
「男のしつけに決まってるでしょ。重要よ。もし、夫にしようと思うんならね」
「はあ……」
 一歩や二歩どころではない。瞳子は、私のはるか前を疾走していた。後姿がみるみる遠ざかって行く。
「そんなことより、相談あるんじゃなかったの? 友達夫婦のことだっけ?」
 瞳子に言われ、私はようやく今日の目的を思い出した。
「そうなの。私が、その夫婦喧嘩の仲裁役みたいなことになっちゃって……」
 泉美と勉の畑中夫妻のことについてである。ある程度のことは、前もって電話でも説明してあった。私一人では抱えきれなくなってきているので、弁護士の立場として何かいいアドバイスはないか、というのが今日の目的だったのである。あくまでも表面上のことなのだが。
 瞳子は、紅茶を飲みながら、黙って私の話に耳を傾けていた。ため息を漏らしたり、微笑したり、またため息を漏らしたり、小首をかしげたり、やっぱりため息を漏らしたり。
 やがて、「私に言わせれば」と、ティーカップをそっとテーブルの上に置いた。
「結婚して仕事をやめたっていう時点で、すでにその彼女の間違いは始まっていたの。専業主婦という立場。社会的にそれが、どれだけ不安定なものなのか。どれだけの不利益をもたらすものなのか。きっとわかっていなかったのね。と言うより、わかろうとしなかっただけかもね」
「それじゃあ、彼女の場合、また何か仕事持った方がいいのかなあ」
「そういうことじゃなくて……」
 今日何度目かになる大きなため息をついて、瞳子は、「意識の問題よ」と続ける。
「男性に幸せにしてもらおう。そう思ってるうちは、何をやっても駄目。自立するって、経済的なことだけじゃないのよ。むしろお金は二の次」
 人差し指で眼鏡の位置を直し、瞳子は言い聞かせるような口調で、「意識の問題よ」と繰り返した。まるで、出来の悪い生徒に対する教師のようである。
「なるほどねえ。意識の問題ねえ。なるほどなるほど。意識かあ。うん。そうじゃないかなとは、私も思ってたり思ってなかったりしてたんだけどねえ。なるほど。深いなあ。なるほどなるほど」
 出来の悪い生徒には、その程度の感想しか言えない。他にできることといえば、「ところで、別の友達の話なんだけど」と、唐突に話題を変えることぐらいである。
「お前も浮気すればいいだろうって、旦那さんから言われたらしいんだけど……。瞳子、それどう思う?」
 さりげなさを装って聞いてみた。本来の目的を果たさないまま帰るわけにはいかない、と心の中で呟く。
「へえ。相当な自信家みたいね、その旦那」
「うん。やっぱりそう思うでしょ。奥さんには、どうせ浮気なんかできっこないんだ、ていう自信があるのよ。きっときっと、その旦那さんにはね」
 話している私の顔を、なぜか瞳子は、口元に薄い笑みを浮かべながらじっと見つめていた。私の額に、“嘘つき”という文字でも浮き出しているのだろうか。
「もしも、もしもよ。もし、もしもの話として、たとえば、もし……」
「わかったから。もしも、何なの?」
「も、もし、旦那の言う通りに浮気したとしたら……。それって、何かの罪になる?」
「妻の浮気を容認したのかどうか、その後、はっきりと旦那に確認したことはあるの?」
「それはまだない。ないらしいの。友達の話ではね」
「そのお友達は、これからどうするつもりだって言ってる?」
「迷ってるって言ってた」
「それは、自分も浮気する可能性が、あるかもしれないってことよね」
「さ、さあ。どうなのかな。いいなって思う男の人はいるみたいなんだけど」
「セシル」
「はい?」
「もし、離婚するつもりなら、私がいつでも力になるからね」
「はい?」
「お友達に、そう伝えておいて」
「はい?」
 微笑する瞳子に見つめられる中、私は額の汗を拭いつつ、むかし彼女に言われた言葉を思い出していた。
 嘘つく時のセシルって、急にまばたきする回数が増えるんだよね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
にほんブログ村
応援クリックお願いします!

9 乾杯の準備
不倫のライセンス 目次

スポンサーサイト

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
プロフィール

片瀬みこと

Author:片瀬みこと
札幌在住のアマチュア作家

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。