スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

不倫のライセンス 7 不毛な論争

7 不毛な論争

 自分自身が抱えている問題だけでも精一杯だというのに、今の私はいったい何をやっているのだろう。泉美と勉。初々しい似合いのカップルだった。二人の結婚を後押しするのにも、何の迷いも感じなかった。そして私は今、そんな二人の対決を、レフェリーとして見守ることになってしまったのである。
 戦いの舞台は、杉本家のリビングルームと決まった。テーブルの上には、クッキーとカフェオレ。クッキーは、意識してハート形のものを用意した。〈幸せになれる洋菓子99〉という料理本を見ながら、私が今朝早起きして作ったものである。つい最近、この本の著者が、不倫をしたとかでずいぶんワイドショーを騒がせていたようだが、とりあえず気にしないことにした。著者自身が、幸せになれる洋菓子を口にしているとは限らない。不倫をしたからといって、幸せになれないとも限らないのだ。
 カフェオレは、ミルクたっぷりのものにした。これはもちろん、イライラを抑えるとされるカルシウム効果を期待したからである。イライラしたあげく、凶器を振り回して大暴れする子牛の姿など、私は一度たりとも見た覚えがない。
「釣った魚に餌をあげないって、こういうことだったのね」
 泉美はため息混じりに言った。幼児向けアニメの声優にでもなれそうな、場合によっては微笑ましささえ感じる声である。もちろん今は、その声に微笑んでいられるような場合ではない。
「最初は、可愛らしいエンゼルフィッシュを釣ったつもりだったのが、気がついてみると、いつの間にかそれが、見たこともないような深海魚に変わってた、てことあるんだよなあ」
 勉は皮肉混じりに言った。チラリと私の方へ視線を向け、僕、うまいこと言うでしょ、という表情をする。うまいこと言っているような気もするが、もちろん今は、ご褒美の座布団を差し出している場合ではない。
「見たこともないような深海魚だったら、それって結構貴重じゃない? あ、でも、どんな餌あげたらいいのか、やっぱり迷うのかも」
 私はおどけて言った。そして、両サイドから冷たい視線を浴びることとなった。
 とりあえず、クッキーとカフェオレを二人に勧めることにした。どちらも二十七歳の立派な大人だ。年齢相応の自制心は、しっかりと持っているに違いない。持っていてもらわないとこっちが困る。
「これ、手作りなの。食べてみて。ハート形、かわいいでしょ。あ、ちょっとヒビが入ってるやつもあるけど、気にしない気にしない」
「セシルさんのダーリンって……」
 泉美は、ヒビ割れしていないハートを一つつまみ上げ、「結婚前と後で、何か変化ありました?」と、私に訴えるような視線を向けてきた。
「そりゃあまあ、あったりなかったりで……。失敗したやつ、食べちゃおうっと」
 ヒビの入ったハートが、私の口の中で、あっという間に粉々になっていく。
「たとえば、どんなところが変わったんですか? 具体的に教えてください」
 ハートを一つ犠牲にしたぐらいでは、泉美の好奇心をそらすことはできなかったようだ。いくら可愛らしいしゃべり方をしていても、いくら頭の上に大きなリボンを付けていても、こうしたごまかしの効かないあたりは、やはり二十七歳の立派な大人なのである。
「変わったというより……」
 泉美の視線から逃れるように、私は勉の方へと顔を向けた。
「知らなかったことに、気づかされた、ていう感じかな。たぶん、お互いになんだろうけどね」
「わかりますわかります。僕も、結婚した後にたくさん気づかされましたから。隠し続けられていた、恐るべき真実ってやつをね」
 得心がいったとばかりに、勉が大きく二、三度うなずいて見せる。
「こ、この際だから、その恐るべき何とかっていうの、思い切って言っちゃえば……」
 決して聞きたかったわけではないが、話しの流れ上、こうなるともう聞かざるを得なくなってくる。たとえどんなに泉美から睨まれようとも。
「結婚前は、金の話なんて、ほとんど口にすることなかったんですよ。それが、今じゃあ……」
 勉はそこでいったんため息をつき、チラリと泉美の方へ目をやった。二人の間で火花が散ったように見えたが、きっと私の気のせいだろう。何しろ二十七歳にもなる立派な大人同士なのだ。しかも、すでにカルシウムを摂取している身である。子供じみた喧嘩に発展するわけがない。発展してもらってはこっちが困る。頑張れカルシウム!
「新しいお洋服を買う余裕がないだとか。洗濯機を買い替えないとそろそろ故障しそうだとか。いつになったら一軒家持てるのだとか。たまには外食したい。たまには旅行したい。たまには……」
「ストップストップ! もういい。持ち時間終了。しゃべりすぎで反則負け」
「何言ってんだよ。セシルさんがどうしてもって言うから説明してるんじゃないか。お前がどんなに欲張りかってことを」
「今のはどう聞いたって、自分の稼ぎの少ないせいで、妻にみじめな生活をさせてます、ていう懺悔の言葉にしか聞こえないんだけど」
「お前の、そういうものの言い方が、まず許せないんだよ。働きもしないで、毎日ボケッとしてるくせに」
「何言っちゃてるわけ? 仕事やめて、家庭に入ってくれって言ったの誰でしたっけ? あれは、私の幻聴? しかも、専業主婦の大変さをまったく理解してない。ねえ、セシルさん」
「は、はあ……」
 いきなり同意を求められても困る。今の私は、カルシウムにイライラを抑える効果などない、という新事実に打ちのめされている最中なのだ。
「私たち主婦っていうのはねえ……」
 泉美が、私の肩に手を乗せてきた。“仲間”という意味らしい。
「食事の用意とか、掃除とか、洗濯とか、食器洗いとか、食事の用意とか……」
「あのお、今の泉美ちゃんの話しの中で、食事の用意っていうのが、二回出てきたと思うけど、それは、朝と晩っていう意味だから」
 主婦仲間としての私の解説は、畑中夫妻の前ではカルシウム以上に無力だった。泉美も勉も、興奮のせいで顔が赤くなってきている。
「恩着せがましいなあ」
「それ、こっちのセリフ。俺が養ってやってる、みたいなことダーリンいつも言ってるじゃない。俺のおかげで生活できてる、みたいなこともね。あれこそ、恩着せがましいんじゃない? 恩着せがましいプラス、身の程知らずよ。威張りたいんだったら、セシルさんのダーリンと同じぐらい稼いできてよね」
「お前が、セシルさんぐらいの美人妻だったら、俺だってもっと仕事に力入れてたはずだ。身の程知らずなのはどっちなんだよ。お前の初めて化粧落とした顔を見て、俺がどれだけ衝撃を受けたと思ってるんだ。せめて、亭主の顔を立てるぐらいの、そんな気配りができる妻になれないのか? 今のお前は、ただの重荷でしかないんだよ」
「お、重荷? 今、重荷って聞こえたんだけど、私の聞き間違いかなあ。夫が妻に対して、絶対言ってはいけないセリフ、トップテンに、確かそんな言葉があったような気がしたんだけど。ねえ、セシルさん?」
「第十一位だ。ギリギリセーフだ。ねえ、セシルさん?」
「ど、どうかなあ。重荷ねえ……」
 もうここまで来ると、とても私の手には負えない。逆に、変な笑いまでもがこみ上げて来さえする。犬も食わぬ、とされるものを、私はもう満腹になるまで食べてしまったのだ。わけのわからない笑いがこみ上げてきたところで、それはそれで仕方がないことである。
「重荷は重荷でも、今のはきっと、大きなリボンの付いた可愛らしい荷物のことでしょ。きっときっと、クリスマスプレゼントみたいな、ね、ね」
 残念ながら、畑中夫妻とその笑いを共有することはできなかったが。
「許せない」と、目を血走らせる泉美。
「こっちだって」と、鼻の穴を膨らませる勉。
「この試合、時間切れ引き分けね」と、決着を先送りする私。
 電話が鳴ったのは、その時だった。
 ようやくこの場から抜け出すことができる、私にとってはまさに救いの電話。間違い電話であろうと、いたずら電話であろうと大歓迎である。
『何だか、騒々しいな』
 相手は夫だった。
「う、うん。今、DVD見てたとこなの。劇場未公開のB級アクション映画」
 受話器を手にしたまま、私は、たった今抜け出してきたばかりの戦場に目をやった。不毛な論争は、なおも続行中である。
「ああ、もう少しで、血しぶきが上がる場面になりそう」
『動物が出てこないのは、ぜんぜん興味ないからなあ……。そんなことより、今日は遅くなりそうだから、晩飯はいいよ。これから残業なんだ』
「そう。わかった」
 受話器を置き、私は一度大きく深呼吸をした。視線の先には、激しい言葉をぶつけ合う一組の夫婦。
「ちょっと二人とも、私の悩みも聞いて」
 パンッパンッと掌を打ち鳴らし、「私にだって悩みぐらいあるんだから。人に分けてあげたいほどのね」と二人に向かって続けた。
 静寂を取り戻した我が家のリビングルーム。私の口元に、視線が集中しているのがわかる。
「今の電話、主人からだったんだけど……。内容は、今夜は残業で、帰りが遅くなるってことなの……。だけど、違うの。たぶんね。残業っていうのは嘘。ほ、本当は……」
 なぜか、それ以上は続けられなかった。私の意志を無視して、吐き出すはずのものが、喉の奥でUターンし始める。
「セシルさん」
 二人の声が、ほぼ同時に聞こえた。その声音には、明らかに気遣いの響きが感じられる。どうしてだろう。今の私が、そんなに人を心配させるような表情をしているはずはない。私はただ、夫の浮気話をネタに、二人のことを驚かせてやろうと思っただけだ。どこの夫婦にだって、問題の一つや二つぐらいあるのよ。そう軽く笑って見せ、二人の気を少しでも楽にしてやろうと思っただけなのだ。
「だ、大丈夫ですか?」
 泉美が戸惑いの声をあげる。勉が困惑したように眉根を寄せている。そんな二人の姿が、ゆっくりと霞んでいく。私は泣いていた。声もなく、ただ立ちつくし、理由もわからないままに、私は涙を流し続けていたのだった。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
にほんブログ村
応援クリックお願いします!

8 嘘つき
不倫のライセンス 目次

スポンサーサイト

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
プロフィール

片瀬みこと

Author:片瀬みこと
札幌在住のアマチュア作家

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。