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不倫のライセンス 5 恋愛スキル

5 恋愛スキル

 ストレス解消にでもなればと、ボクシングジムに通い出したことは、私にとって大正解だったようだ。ただ無心になってパンチを打ちこむというだけで、これほどまでに爽快な気分を味わえるのである。サンドバッグは決して殴り返してこない、という点が特にいい。
 たっぷりと汗を絞り出した後は、夫以外の男性との、秘密のデートが待っている。お世辞にもムード満点な場所とは言えない。不倫の恋に発展する可能性も低そうだ。それでも私は、この週に一度の居酒屋デートを心待ちにしていた。ちょっぴりの期待と、ちょっぴりの後ろめたさを感じながら。
「ミリオンダラー・ベイビー。知ってる?」
 ビールの追加注文の後、私はその映画の作品名を口にした。ボクシングをやろうと思ったきっかけは? という礼治からの質問に対する答えである。
「もちろん、知ってますけど……。一応、ボクシング関係のものは、ほとんど見てますから」
 彼の表情はなぜか冴えない。
「なあに? 何だか気に入らないって感じね」
「正直、女性が格闘技するってことに、ちょっと違和感があって」
「それって……」
 私は思わず苦笑していた。運ばれてきたビールを店員から受け取り、テーブル席で向かい合う礼治に目を戻す。
「ジムのトレーナーにあるまじき発言じゃない? もし今の聞かせたら、女性会員全員的に回すことになるかもよ」
「トレーニングと実際の試合は、まったくの別物です。美容や健康のためにやるのと、命がけで戦うことの違いです。でも、他の会員さんには言わないでください」
「女は、ボクシングに命かけちゃ駄目ってこと?」
「駄目です。でも、他の会員さんには言わないでください」
 こうはっきり言われてしまうと、私も女性代表として、ここは簡単に引き下がるわけにはいかなくなる。
「たとえ一瞬でも、輝くことができるなら、命をかける価値はあるんじゃない? マギーの生き方が間違ってるだなんて、誰にも言えないはずよ。マギーにとっては、ボクシングがすべてだったの。ボクシングがあったからこそ、いろいろつらいことだって乗り越えられたんじゃない。もし彼女がボクシングあきらめてたとしたら、どれだけむなしい人生を送っていたことか、礼治君は想像してみたことあるの? 彼女の何を知ってるっていうのよ。いったい、マギーにどうしてほしいの? どうしろっていうのよ。ねえ、焼き鳥くわえてる場合じゃないでしょ」
 主人公に感情移入しすぎているせいか、私の口調は激しくなる一方だった。我ながら大人げない。一息つこうと、枝豆を一口、ビールを一口。
「杉本さんって……」
 言いかけたものの、礼治はそこで口ごもった。何か反論の言葉でも探しているのだろうか。じっと私の手元を見つめている。
「ひょっとして、私に殴られると思った?」
「まさか、プロを目指してるわけじゃないですよね」
「プロ? プロボクサーってこと?」
 頭に浮かんだことすらなかった考えである。うなずく礼治に対して、しかし私は首を横へは振らなかった。
「目指しちゃいけないっていうの? 私が女だから?」
「杉本さんには、似合いません」
「似合わないって……。それ、私の一番嫌いな言葉だって知ってた? 漬物も似合わない。箸も似合わない。日本語も似合わない。今度はボクシングも似合わないって言うの? いったい私には何が似合うの? こんな外人顔だもん、ボクシングぐらい似合ってるでしょ」
「漬物は似合ってます」
「ありがとう。今度会う時には、タクアンのイヤリングでも付けてくるね」
「でも、ボクシングは駄目です」
「どうしてなの? その駄目な理由を、今すぐに述べよ」
「そんなきれいな顔、傷つけちゃ駄目っス」
 真顔でこんなこと言われたら、返す言葉などすぐには浮かばない。一瞬にして敵の戦意を喪失させる、そんな必殺のパンチをもらったようなものだ。
 とりあえず、枝豆を一口、ビールを一口。チラッと彼の表情をうかがってみても、いまだにおどけて見せる気配はない。どうやら、私がリングの上で大の字になるまで、攻撃の手を緩めるつもりはないらしい。
 こんな時、どう切り返せばいいのだろう。この辺の恋愛スキルが、すっかり錆びついてしまっている。五年も人妻やっているのだから仕方がない。
 ざわついた店内で、このテーブル席だけが沈黙に包まれていた。私の出方を待っているのか。礼治の唇も固く結ばれたままである。
 枝豆の話題でも振ってみようか。いや、駄目だ。絶対盛り上がりそうにない。
 無難なのは、やっぱり映画の話だろう。何の作品にしよう。こんなタイミングで、ボクシング映画だけは避けたい。ラブストーリーも駄目だ。赤面してしまうに決まってる。
 アクション映画にでもしてみようか。やっぱりそれもまずい。格闘技と結びついてしまう可能性が高い。ディズニー作品はどうだろう。白雪姫なら、確かボクシングとは無縁だったはず。
「この店の……」
 沈黙を破ったのは礼治の方だった。ぎこちない口調で、「枝豆って、おいしいですよね」と続ける。
「そ、そうね。こんな枝豆、初めてかも」
 助かった。どうして、こんなに焦らないといけないのかわからないが、とにかく助かった。枝豆に救われた。
「カロリーって、どうなんだろう」
「低いんじゃないかな。たぶんね。枝豆ダイエットっていうのがあるぐらいだから」
「へえ、そうなんスか。いいなあ、枝豆って」
「ビタミンとか、食物繊維とかも豊富だし、おいしいし、脂肪分が少ないらしいし、おいしいし、食べやすいし、ビールに合うし、おいしいし、緑色してるし……」
 これが私の、枝豆についての全知識である。
「減量する時いいかもなあ。俺、いつも苦労するんスよ」
 納得したという風に、礼治は枝豆を一つつまんだ。
「そうか。プロになると、そういう苦労もあるんだよね」
「ですよ。試合の日が近くなれば、トレーニングの後の飲み会なんて、絶対にありえないっスから」
「ううん。何だか痛くなってきちゃった」
 耳を抑えおどける私に、礼治も思わず白い歯をこぼす。
「だから、セシルさんにプロボクサーは向いてません」
 その言葉に、決して得心がいったわけではない。しかし、先ほどまでの不満は、私の中からすっかり姿を消していた。
 “セシルさん”と、礼治は確かに言った。さりげなさを装っていたようだが、私は聞き逃さなかった。“杉本さん”から、“セシルさん”へ。礼治の中で、たった今、私は出世を果たしたのである。
「何か、俺、変なこと言いました?」
 私がじっと見つめていたせいだろう。礼治の表情に戸惑いの色が浮かぶ。
「ハマチの刺身って、あるんだっけ?」
 何気ない口調で、私はメニュー表を手に取った。
「あったと思いますよ」
「大きくなると、ハマチって、確か名前変わるんだよね。何て変わるんだっけ。礼治君、覚えてない?」
「ブリ、じゃないんスか」
「そうだっけ? もっとチャーミングな名前じゃなかったかなあ。たとえば、“セシルさん”みたいな」
 これが、私の放った今夜一番の必殺パンチだった。

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6 男女の違い
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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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はじめまして

ボクシングに飛びついてしまいました。
本当は『雨の虹の日々』にゆっくりとコメントを書きに来ようと思っていたのですが(猫もの、好きなのです)、猫よりボクシングに飛びつくなんて…
実は昨年、巨石を見に山にあがっていて捻挫をしてからお休みしているのですが(今も少し足を引きずることがあるので)、それまではボクシングジムに通っていました。ただいま復帰待ちです(^^)
このサンドバックは打ち返してこない、というのがいいです。実感です。
ミットを打つ時に思うのですよね。ちょっとタイミングがずれるときとかに、はっとして手をひっこめそうになる。ジムの会長は、女性はやっぱり理由なく相手を殴るということには向いていない=戦闘には向いていないと言います。性格にもよるのでしょうけれど。
でも、ボクシング映画もボクシングの試合を見るのも好きなんですよね。殴られながらも立ち上がる男に惚れ惚れしてしまいます(って、どんなSなんでしょう^^;)。
殴ることと食事と性的な興奮(あるいは背徳の興奮?)は、なんだかつながるところがあるような気がして、私もそんな話を書いたこともありました……
この章、とてもいい感じですね。ボクシングと居酒屋と背徳の組み合わせ、会話の中にちょっと探り合いがあって、こういうシーン好きです。
いえ、全体に言葉とか会話がセンスがあって素敵ですね。
時々また遊びに来させていただきますね。
レインくんにもまた会いに来たいです。

Re: はじめまして

大海彩洋さん、コメントありがとうございました。
ペンネームでしょうか。難しい名前ですね。
「オオウみ さいよう」さんかなあ。「あやひろ」さんかなあ。
まさか、「だいかいさい よう」さんじゃないですよね。これだと、何かの達人か、仙人みたいな名前になってしまう。絶対、長いあごひげ生やしてそうな感じ。

> 実は昨年、巨石を見に山にあがっていて捻挫をしてからお休みしているのですが(今も少し足を引きずることがあるので)、それまではボクシングジムに通っていました。ただいま復帰待ちです(^^)

ボクシングの達人でしたか。いや、やっぱり巨石を守る仙人かな。

> この章、とてもいい感じですね。ボクシングと居酒屋と背徳の組み合わせ、会話の中にちょっと探り合いがあって、こういうシーン好きです。
> いえ、全体に言葉とか会話がセンスがあって素敵ですね。

ありがとうございます。
これ、すでに完結した作品を、手直ししたものなんですが、クスッと笑ったり、ムカッと腹を立てたりしながら読んでもらえると幸いです。

> 時々また遊びに来させていただきますね。

お待ちしてます。
今度、名前の読み方を教えてください。あごひげの有無についても。

管理人のみ閲覧できます

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No title

初めまして、海河童といいます。

とりあえず1~5まで読みました。

わたしも小説を書きたいと思っていますが、
この話、かなり面白いと思います。

たったの5話で、セシルさんのキャラがキチンと伝わってきました。

続きを読むためにも、リンクを貼らせていただきます。

追伸:わたしのブログでkindleでの電子出版の方法を解説しています。
    この話、本にしてみてはどうですか?

Re: No title

海河童さん、コメントありがとうございます。

> たったの5話で、セシルさんのキャラがキチンと伝わってきました。

そう言ってもらえると、とてもうれしいです。
明るい性格のセシルですが、臆病な部分もあり、問題をつい先送りにしてしまうという弱点があります。
その弱点が、今後の展開で大きなポイントとなってきます。
どうか最後まで見届けてやってください。

>     この話、本にしてみてはどうですか?

将来的には、とは思っていますが、本にするには、やはりまだまだ力不足です。
このブログも、文章修業、という意味合いが強いので、もうしばらくこの場での活動を続けるつもりでいます。

No title

片瀬さま

わたしもいつかは小説をと思っていますが、
まずは、趣味のダイビングに関する本で、
修行も兼ねてkindleから本を出してみました。

100円とはいえ、自分の書いたものに、
対価を払ってもらうのは緊張しますが、
いい訓練になったと思っています。

あっ、相互リンク、ありがとうございました!

Re: No title

海河童さん、コメントありがとうございます。

ブログ、拝見させてもらいました。
ダイビングとは、素敵な趣味ですね。泳げない私にとっては、恐ろしい趣味でもありますが(苦笑)
昔、好きで熱帯魚を飼っていたことを思い出しました。

> わたしもいつかは小説をと思っていますが、
> まずは、趣味のダイビングに関する本で、
> 修行も兼ねてkindleから本を出してみました。

小説、ぜひ挑戦してみてください。
ダイビングの経験や知識から、いろんなアイデアも出そうですね。
海を舞台にした物語、私も一つ温めているものがあるんです。

> あっ、相互リンク、ありがとうございました!

こちらこそ、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

プロフィール

片瀬みこと

Author:片瀬みこと
札幌在住のアマチュア作家

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