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不倫のライセンス 2 理想の男性

2 理想の男性

 夫婦はよく似てくるというが、私の両親はどうだっただろう。
 フランス人の母は美しく、性格も明るく社交的。一方、日本人の父は寡黙で、人付き合いの苦手な人だった。少なくとも、性格についての共通点は見当たらない。
 写真家と画家。二人を結びつけていたものは、やはり“芸術”ということになるのだろう。しかし長続きはしなかった。二人はあまりに違いすぎた。小さな傷口は、やがて裂け目となり、ついには夫婦を他人へと変えた。そして今、娘の私にも、五年続いた結婚生活の危機が訪れようとしていた。
 価値観が違う相手とは、結婚するべからず。両親の離婚から学んだことである。そして、私は一人の男性と出会った。証券会社に勤めているというその彼、杉本敏明となら、うまくやっていけそうな気がした。父と母のようなことには決してならない。そう信じていた五年前の私は、男を見る目のない、ただの愚かな私にすぎなかったのかもしれない。
 今日の夫の帰宅は早かった。夕食を簡単に済ませ、今はテレビのニュース番組を見ながら、ゆっくりと食後のコーヒーを味わっているところである。
 私と敏明とのゲームは続いていた。先に話しかけた方が負け、という至ってシンプルで、なおかつとんでもなくバカバカしいゲームである。
 お前も浮気すればいいだろ。その発言以来、セシル国と敏明国との間は冷戦状態にあった。両国を和解へと導くための国際会議は、ニュースを見る限り未だに開かれてはいないようだ。
「馬鹿だなあ」
 敏明が言った。私にではなく、テレビに対してのものらしい。理性的でない人を見るたび、夫はよくその言葉を使う。リストラにあった元社員が、会社社長宅に対して、百回以上ものいやがらせ電話をかけていたというニュースである。
 手にしたイタリアの風景写真を眺めつつ、私はテレビの音声に耳を傾けた。
「百回も電話する暇あるなら、いくらでも他にできることあるだろう」
 ニュースキャスターの代わりに、まずは敏明の解説が耳に届く。
『容疑者には、二人の幼い子供と、妊娠中の妻がいたそうです』
 キャスターは言う。
「それがどうした」
 すかさず敏明の詰問が飛ぶ。
『だからといって、もちろん男のしたことが正当化されるわけではありません』
 とりあえず、それがキャスターの答えらしい。
「当たり前だろ」
 夫に叱責されるキャスター。
『誤解を恐れずに言わせてもらうなら、再就職の難しい今の社会情勢を考えると、この事件も、広い意味での不況の影響と言えるのかもしれません』
 言いわけするキャスター。
「誤解を恐れろ。何でも不況のせいにするな。みんなに好かれたいのか、お前は」
 追いつめられるキャスター。
『金曜日のコメンテーターは、政治学がご専門の、貝原英樹准教授にお越しいただいております。さて貝原さん。今回の事件、どうお考えですか?』
 ごまかすキャスター。
『まあ、正直言って、百回も電話する暇があるなら、もっと他にできることあったんじゃないかと……』
「それは、俺がさっき言っただろ」
 敏明が、もしも番組プロデューサーだったとしたら、このキャスターとコメンテーターも、事件の容疑者同様、今頃は職を失っていたのかもしれない。
「もし、リストラにあったとしたら……」
 私の声に、敏明がこちらを見やる。夫婦で目を合わせるのは、これが今日はじめてのことだった。
「敏明さんだったら、どうするつもり?」
 私は聞いた。写真を封筒の中へと丁寧にしまいこむ。
「リストラにあう可能性は、俺の場合、限りなくゼロに近いと思うけど」
「もしもの話だって言ってるでしょ」
「まあ、そうだなあ……」
 ようやく私と会話ができる。せっかくのそのチャンスを逃すまいと思ったのだろう。敏明は、やや表情を引き締めて続けた。
「自分の能力を、最も高く評価してくれる企業へ再就職するか、それとも、独立、うん。経営者サイドに回るのも悪くはないな。とにかく、家族を路頭に迷わせることだけは避けなくちゃいけないからね」
「どこにも就職できず、独立に必要なだけの資金も集められなかったら?」
「もしもの話にしても、それはあまりにも突飛だよ。もしも火星人が攻めてきたらって聞かれても困るだろ? まあ、その場合は、地球よりも木星の方が土地が広いんだから、まずはそちらを攻めた方が、地球人と争うよりずっと利益になるってアドバイスしてやるつもりだけど」
「だって、突然リストラされちゃうのよ。そんなに都合よくいくことばかりじゃないでしょ? だいたい、心の準備だけでも大変。きっとパニックになっちゃうかも」
「いいかいセシル。まず、突然のリストラ、という言葉をよく聞くけど、実際には、ある日突然リストラされるなんてことはありえない。リストラされる場合は、必ずその予兆というものがあるはずなんだ。火星人だって、突然姿を現すわけじゃない。きっと何らかの乗り物でやってくるんだろう。そこでだ。そこで、何の準備もできなかった人間が、本当の意味での負け組となるんだ。そして哀れな失業者となる。もしくは、火星人の夕食のおかずとなるわけだ」
「一度や二度、負けたっていいじゃない。そこからまた這い上がればいいんだもん。ロッキーみたいにさあ。シュッシュッってね」
 私は、ファイティングポーズを取っておどけて見せた。
「這い上がることよりも、まずは、滑り落ちないことを考えるべきだろ」
 自信に満ちた敏明の口調。滑稽さに満ちた私の格好。早く気づくべきだった。夫がボクシングにまるで興味がないということを。
「お前は、今の生活環境すべてを失ったらどうする?」
「はあ」
 間の抜けた声を発しながら、私は、目の前に構えた二つの握り拳をじっと見つめる。意味もなくチョキに変えてみた。
「今は共稼ぎしなくとも、十分すぎるほどに、平均以上の生活水準を維持している。それはわかっているだろ? それすべてを失ったらって、想像してみたことあるか?」
 うまく想像力が働かず、とりあえず、目の前のチョキをパーに変えてみた。
「それは、それで、仕方がないんじゃない?」
「何が?」
「だから、失ったら失ったで、後はもう、そこから這い上がることを考えるしかないってこと」
「違う違う。何を聞いてたんだよ。這い上がり方なんてどうでもいい。まずは、滑り落ちないことを考えるべきだって言ったじゃないか。そんな、場当たり的な考え方しかできないやつが、結局、追いつめられたあげく、つまらない犯罪に手を染めたりするようになるんだよ」
「滑り落ちないって……、そんな、絶対に滑り落ちない方法なんてものあるの?」
「ある」
「教えて。そんな魔法があるんなら、ぜひ教えて。世界中の悩める子羊を、敏明さんの力で、今すぐ救ってあげて」
「そんな難しい話じゃないんだよ」
 得意げだった敏明の表情が、ふと笑顔に変わる。
「まず、現在の生活を成り立たせている基盤は何か。それは、自分で言うのもえらそうなんだけど、俺の稼ぎだよね? もちろんそれだけじゃない。当然お前が家事をしてくれているから、というのもある」
「それって、もっと俺に感謝しろって言いたいの?」
「違う違う。そんなことじゃないよ。生活基盤は何かってこと。事実関係をはっきりさせただけだ」
「生活の基盤ねえ……」
「たとえばこういうことだ。病気や怪我で、もしもお前が、長期間家事ができなくなったとする。それでも生活は成り立つ。家政婦を雇いさえすれば済むことだからだ。ここまではわかるよな? じゃあ、俺が稼がなくなったとしたらどうか。もちろん、新しい夫を雇うわけにはいかない。代わりにお前が働きに出たとしても、今のような生活水準は維持できない。そうだろ?」
「たぶんね」
 うなずく私を見て、敏明は満足気に微笑んだ。
「そこでだ。その基盤、その大切な生活基盤をグラつかせないために、いったい何が必要か。それが重要となってくるんだ」
「何が必要なの?」
「ううん……。できれば、そのことに気がついてもらえるといいんだけどなあ」
 なぜか、敏明はそこで言いよどみ、手入れの行き届いた口髭を、何度も指先でなぞった。その仕草。その照れ笑い。浮気をごまかそうとする時とどこか似ている。
「もったいぶらないで、ずばり答えて」
 解答をうながすと、
「もっと自由がほしい」
 ロックンローラーのような答えが返ってきた。
「自由って?」
「たとえば……」
「たとえば?」
「たとえば……」
「たとえば?」
「たとえば……」
「だから、ずばり答えてってば」
「今日は、もう寝る」
「何それ?」
 宣言通り、足早にリビングから出て行く敏明。
「何それ?」
 夫のその後姿を、私は呆然と見送ることしかできなかった。
 五年前、私は結婚した。相手は、自分と似た価値観を持つ理想の男性。確かにそのはずだった。

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3 恵まれた生活
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Author:片瀬みこと
札幌在住のアマチュア作家

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