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ホームチーム 28 警告

28 警告

 靴を履き、チラリと背後に目をやる。ドアノブに手をかけ、再び背後を見やる。
 そして、孝子は口を開いた。
「大丈夫?」
 ここ数日、何度同じ言葉を繰り返してきたことか。まるで挨拶代わりだ。おはようの代わりに、大丈夫。お休みの代わりに、大丈夫。そして、たった今口にした大丈夫は、行って来ます代わりの言葉だった。
「大丈夫、大丈夫」と、詩織からもいつもの答えが返ってきた。
 これは、心配はいらない、の代わりなのだろう。それはわかっている。わかってはいても、心配しないではいられない。それが今の孝子だった。
 詩織の笑顔は、明らかにぎこちない。片手に割り箸。もう片方の手には歯磨き粉。どうしても大丈夫そうには見えない。
 後ろ髪を、綱引き世界大会の優勝チームに引かれる思いで、孝子はどうにか自宅マンションを後にした。
 倒れている詩織、そしてその近くに落ちていた手紙。孝子の抱いていた不安が、現実のものとなったのは、まさにそれを見つけた瞬間だった。もはや、誤解や錯覚などでは片付けられない。親子二人の平穏な生活は、いつ破壊されたとしてもおかしくないのだ。
 孝子は、目の前の小石を、思い切り蹴り上げた。
 不安に怯える気持ちなど、とうにどこかえ行ってしまった。今はそんな段階ではないのだ。孝子の中に今あるのは、怒り。そう。煮えたぎるような怒りだけだった。
 手紙のことは、無視するようにと母には言ってある。もちろん、電話など絶対かけちゃいけないとも。
 今のところ、相手からの新たなアクションはない。もちろん、今のところ、というだけの話である。このままで済むはずは絶対にないのだ。
 どうするべきか。ここ数日、孝子はそればかりを考えてきた。
 警察? 駄目だ。事件が起きない限り、彼らは真剣に動いてなどくれないだろう。あの手紙に、脅迫を臭わせる部分は見当たらなかった。
 DVシェルター? これも気が進まない。こそこそと息を潜めるような生活は、もうこりごりである。
 火野卓真? 何度も考えたことだが、相談したところで、いったい彼に何ができるだろう。いい人だとは思う。ただ、彼はスーパーマンではない。
 選択肢は、もう一つだけあった。
 それが一番現実的ではないだろうか、と孝子が今思っている考えである。直接解決に結びつく方法ではない。言うなれば、先制攻撃だ。相手を怒らせ、何らかのアクションを起こさせれば、警察にもどうどうと動いてもらえる。
 気がつくと、孝子は立ち止っていた。そして、手には携帯電話が握られていた。
 あの忌まわしい手紙は、孝子が処分した。二度と読めないようにと、びりびりに引き裂いた。それでも、詩織には内緒で、電話番号だけはこっそりとメモしておいたのである。
 逃げずに戦いなさい。
 ふと、そんな言葉が思い出される。大也宛てに送ったメールだ。
 その続きを、今度はそっと口に出してみた。
「いくら逃げたって、何の解決にもならないんだからね」
 あの時の言葉は、たった今、自分自身へのメッセージへと変わった。
 一度だけゆっくりとまばたきをし、孝子は保存しておいた番号を呼び出した。
 目の前を通り過ぎる自転車。反対側から来るのは、若いお母さんが押すベビーカー。それらをぼんやりと見つめながら、孝子は対決の瞬間を待った。
 やがて、呼び出し音は途切れた。心臓が一気に跳ね上がる。
『はい。もしもし』
 男の声。数年ぶりに耳にした、忌まわしいあの男の声だ。
『もしもし。誰?』
 男の声音に、訝しむような響きが加わる。
 携帯電話を握りしめたまま、孝子は半ば固まりかけていた。言うべき言葉は、もう喉元まで出かかっているというのに。あとは、口を開けてそれを押し出しさえすればいいのだ、と自らに発破をかける。
『詩織? もしかして、君なのか?』
 その言葉が引き金になった。
「マ、ママの名前、もう二度と口に出さないで」
 孝子は一気にまくし立てた。
「私もママも、昔とは違うの。もう、あんたの家来でもペットでも、なんでもないの。もちろん、家族なんかでもない。な、なに企んでるかわからないけど、今度は、こ、今度はただじゃ済まさない。絶対に、ただでは済ませない。警告だけで終わると思ってるなら、大間違いよ。警察には、もう連絡してあるし、弁護士だってついてるんだからね。これ以上、もし何かあったら、そ、その時は、そう、あんたの人生が終わる時よ。覚えておきなさい。こ、この、最低のくず野郎」

 とんでもない場所に、呼び出されてしまったのかもしれない。
 そんな不安を抱えつつ、卓真は改めて店内を見渡した。
 他のテーブル席に客はいない。卓真が訪れてから一時間近く経つが、その状況に変化はなかった。入口に暖簾はかかっていただろうか。それがどうしても思い出せない。もしかすると、貸切では。そんな考えが、ますます胸中をざわめかせる。
「いかがでした? お味の方」
 急に尋ねられ、卓真は反射的に笑顔を作って見せた。
「は、はい。おいしかったです。ごちそうさまでした」
「ああ、よかった」
 木原栄子がほっとしたように言う。
「火野さん、食品会社の方だから、ずいぶんと舌も肥えてるでしょうし……。あ、でも、自信はあったんですよ。この店の味ならってね。ここのおそば、とっても評判いいんですよ。それから、天ぷらもね。何しろ、岩田君の腕が……」
 ずっとこんな調子だった。この小さなそば屋が、いかに素晴らしい店であるかを、どうしてもわかってもらいたい。それが栄子の狙い、それが卓真を呼び出した目的、というのであればわかる。しかしそうではないのだ。栄子が本当に話したいのは、自分の息子、守についてのことなのだ。彼と大也の付き合いについてのことなのだ。
 店内には、岩田というこのそば屋の店主と、客である卓真と、栄子、そしてもう一人いた。栄子の父、守の祖父、そして、以前から、大也の話に何度も登場してきた男、木原栄一である。
 想像とはずいぶん違うな。彼を見た時の、それが卓真の第一印象だった。
 植物、特にアロエについて詳しい、ひょうきんなおじいさん。確か大也はそう言っていた。
 しかしどうだろう。栄子の隣にいる、この眼光の鋭い老人。冗談一つ言うどころか、ほとんど口を開くことすらしない。その静かな威圧感ともいえる不気味さが、卓真をひどく落ち着かない気分にさせるのだった。
 お茶を口にした栄子を見て、卓真は早口で切り出した。
「息子たちのことですよね。今回の話というのは」
「え、ええ」といったん口にしてから、栄子はすぐにかぶりを振った。「いや、でも……」困ったように言い、チラリと隣の栄一に目をやる。
 老人は、胸の前で両腕を組み、「うーん」と一声発するだけだ。
 やや間を置いてから、再び栄子が口を開いた。
「私たちのこと、少しでもわかってもらいたかったんです」
「私たち?」
 向かいの席に座る親子を、卓真は交互に見つめた。“血”という言葉が頭によぎる。栄一、栄子、そして守へと繋がる血。避けては通れない運命。気の毒だという思いはある。ただし、こういう連中とは関わりあいになりたくない、という思いはそれ以上だった。
「彼、岩田君も、昔は……」
 栄子が後ろを振り返ったので、卓真もそちらを見やった。
 カウンターの奥で、岩田が洗い物をしていた。やはり、というべきか。彼の目つきからも、どこか威圧的な雰囲気が感じ取れる。
 昔は、の続きを、栄子は口に出さずにごまかした。言わなくてもわかるだろう、という思いからか、それとも、ヤクザだの、暴力団だのといった言葉に対する抵抗感か。
 岩田という男も、おそらくは栄一の部下の一人だったのだろう。その想像が、卓真の不安をさらに膨らませた。
 このまま無事に帰ることができるのだろうか。先ほど口にした天ぷらそばが、人生最後の食事になるのだろうか。自分の命だけではなく、もしかすると、大也の身にも危険が。いや、それだけじゃない。詩織や孝子の命までもが……。
 恐ろしい想像が、次から次へと頭に浮かび上がる。
 そして三十分が経過した。
 そば屋の前に、一人立ちつくす卓真。命に別状はなかった。肉体の一部が、そばのように細かく切り刻まれることも、天ぷらのタネとして油で揚げられることもなかった。
 一度大きく息を吐き出す。強い緊張感から解放されたせいだろう。なかなか身体に力が入らない。いったい何だったのだろう、と卓真はその場で首を捻った。
 私たち、変わろうと必死に努力しているんです。栄子は最後にそう言っていた。
 マリンちゃんに、これ持っていってくれ。栄一が口にしたのは、結局それだけである。ハコベのたっぷり入った袋を、手渡されただけだった。
 先入観。
 これまでの時間、卓真の感情を支配していた、それがその正体なのだろう。たった今思い当たった、というのではない。すでに気がついていたはずの答え。その言い方の方が正しい。
 卓真はようやく歩き始めた。足取りは、店に入る前よりも、さらに重くなっているように感じられた。

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Author:片瀬みこと
札幌在住のアマチュア作家

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