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不倫のライセンス 1 浮気相手第一候補

1 浮気相手第一候補

 お前も浮気すればいいだろ。
 苦しまぎれとはいえ、夫は確かにそう言った。昨夜のことである。その日の私には、ある種の覚悟のようなものができていた。何らかの答えが出されるまでは、一歩たりとも引くわけにはいかない。そう強く決心していた。
 度重なる夫の不貞行為。見て見ぬふりを続けるのにも、限界を感じるようになっていた。はじめこそ笑ってごまかそうとしていた夫も、決して収まることのない私の追及に、ついには表情を曇らせ黙りこんだ。
 やがて、私の耳にその答えが届けられた。苦笑混じりの夫のつぶやき。予想外の答え。とはいえ、いったいどんな答えを予想していたのか。どんな答えを望んでいたのか。あの時の私にはよくわからなかった。ただし、何かが大きく変わろうとしている。そんな、どこか胸騒ぎにも似た予感ならあった。
「今日は、特に気合が入ってますね」
 ふと我にかえり、私は目の前のサンドバッグに意識を戻した。声の主である男の姿が、目の端に映る。手を休めることはしなかった。聞こえないふりをして、ひたすらパンチを打ち続ける。鼻血を流す夫の顔が、揺れるサンドバッグに重なって見えていた。
「できれば、もっと下半身を使って……」
「脚で、リズムを取るようにでしょ」
 先回りして、トレーナーの言葉をさえぎる。アドバイスなら後でいい。今重要なのは、もっと夫にダメージを与えることなのだ。
 繰り返し指摘されてきたことによると、私のパンチの打ち方では、いつか必ず肩を壊してしまうらしい。このボクシングジムに通い始めて三カ月。同じ言葉を、しつこいぐらいに聞かされてきた。一般会員相手には、まずは安全第一、というのがジムの方針なのだろう。
「そんな、力任せの打ち方じゃ……」
「肩を痛めるんでしょ」
「そ、そうっス」
 愛想のない私の態度にもかかわらず、彼はなかなかその場を離れようとはしない。周りの目が気になるのだろう。少し落ち着かない様子で、ポツリポツリとアドバイスらしき言葉を口にしている。
 トレーナーの名は、成宮礼治。彼に言わせれば、本業はあくまでもプロボクサーだという。そして、今日からもう一つだけ、彼に新たな肩書が増えることになる。私の浮気相手第一候補。というのがそれだった。
「せっかくの、健康のためのトレーニング。怪我しちゃ意味ないですし……」
「ボクシングって、本当に健康のためになるの?」
「もちろんなります。美容のためにもです」
「美容ねえ……。ところで、礼治君のその目尻の傷、どうしたんだっけ?」
「ボクシングっス」
「そうっスか、そうっスか。顔面傷だらけになりたい人のためにも、ボクシングは最適ということっスね」
 彼の口真似をして笑う私に、礼治も思わず苦笑を漏らす。ここまではいつものやり取りだった。
「練習と試合では、まったくボクシングの意味合いが……」
「その意味合いについて、食事しながらゆっくり説明してもらえる?」
 私は手を止め、彼の反応をうかがった。精悍な顔立ちに中途半端な笑み。本気で誘われているのか、それとも、ただからかわれているだけなのか。すぐには判断がつかないらしい。それもそのはずだった。誘いをかけるのはいつも彼の方。そしてその誘いを、いつも冷たく断ってきたのが私だったからだ。
 人妻としての当然の振る舞い。頑なにそれを守り続けてきた私は、あくまでも、昨日までの私でしかない。今までのルールブックに、昨夜、新たな一文が書き加えられたのである。妻の浮気を許可します、と。

 場所は、礼治の行きつけの居酒屋に決まった。時間は午後九時を少し回ったところである。
「こんなところで、本当によかったんですか?」
 ビールの泡を口の周りにつけたまま、礼治はいかにも申しわけないといった風に言った。
「こんなところって? 大切な会員をもてなすには、ふさわしくないところってこと?」
 答えの代わりに、私は一つ質問を返し、一つ唐揚げをつまみ上げる。
「何だか、似合わないような気がして……」
「女性会員には?」
「杉本さんにはです。俺、会員さんと二人っきりで食事するなんて、これがはじめてっス」
 礼治がややムキになって言う。言葉使いの微妙な変化が、私には愉快だった。
「私には、どんなところが似合うの?」
 その問いに対しては、とりあえずアルコールの力が必要らしい。礼治はジョッキの残りを一気に飲み干した。思案顔が、ゆっくりと苦笑へと変わる。
「昔っから、よくいわれたなあ……」
 私のつぶやきに、「え?」と礼治がすぐに聞き返す。
「セシルに、お漬物似合わないねって」
 タクアンを箸でつまみ上げ、私はおどけた口調で続けた。
「箸を使うのも、納豆を食べるのも、日本語をしゃべるのも、なぜか、私には似合わないことらしいの」
 今では、抵抗なく笑って話すこともできる。混血児に対する悪意のない驚き。悪意のない感心。ただ、私がそう受け止めさえすればいいことなのだから。
「そ、そうっスか……」
 礼治が口ごもる。どう反応すべきか迷っているらしい。悪意のない気遣い。私はそう受け止めることにした。
「そうっス、そうっス」
 笑顔で答える私に、安心したように、礼治もすぐに白い歯を覗かせた。“笑ってよし”のサインに気がついたらしい。
「俺のこと、どうして誘ってくれたんですか?」
「どうしてって……」
 今度は私が口ごもる番だった。
「今までは迷惑がってたじゃないですか、俺が何度誘ったって」
「ボ、ボクシング。そう。もっとボクシングの話を聞きたくって……」
 どうにかごまかす。夫への復讐を果たすため、今夜あなたと寝るつもり。とは言えるわけがない。悪意のない嘘。どうかそう受け止めてほしい。
「ボクシングの話って……」
「礼治君は、何がきっかけではじめたの?」
「きっかけっスか……」
「うん。きっかけっス、きっかけっス」
「ロッキー。知ってますよね、映画の」
 照れくさそうに話す礼治。私より四つ年下の彼の表情は、こんな時なおさら少年っぽく見える。
「知ってる知ってる。シリーヅも全部見てるはず、たぶんね」
「シリーズ作は駄目です。一作目、一作目だけですよ。本物のロッキーと呼べるのは」
「へえ。一作目ねえ。エイドリアーンってやつね」
「階段駆け上がって、ガッツポーズ取るやつです」
「うん。まあ、そんな場面もあったような気がするけど、泣けるのは、やっぱりエイドリアーンってとこでしょ?」
「一番泣けるのは、階段駆け上がりシーンです」
 残念ながら、私とは泣けるツボが違うらしい。とはいえ、ロッキーをきっかけに、その後も映画の話題で大盛り上がりすることとなった。本来の目的を思えば、ひどく無駄な時間を過ごしているような気もする。ただし、私の心の中に、一つだけ深く刻みこまれたものがあった。礼治が最後に口にした言葉である。
「厳しいトレーニングを続けていると、たまに、ごくごくたまにですけど、自分の変化に確信を持てる。そんな瞬間があるんスよ。それで、そうなると、もう自然とガッツポーズ取って叫んでしまってる。ロッキーが階段駆け上がった時みたいにね」
 店を出た後、私を一人残し、礼治は夜の闇へと駆けていった。今食べた分のカロリーを消費するのだという。
 愛の告白はなかった。ホテルやマンションに誘われることもなかった。女として好意を持たれている。それは、単なる私の勘違いだったのだろうか。それともうぬぼれ?
 情けないやら、バカバカしいやらで、悲しむ気にもなれない。それどころか、身体の奥から妙な笑いまでこみ上げてくる。
けれど、焦る必要はない。私の手にはライセンスが握られている。有効期限だって、たっぷり残っているに違いないのだから。
 帰る前に、深夜営業のレンタルビデオ店でも探そう。どうしても見たい作品がある。名作映画で夜更かしするのも、たまにはいいだろう。
 冷たい風が、火照った頬に心地いい。そんな六月の夜だった。

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私の、記念すべき長編一作目、その改訂版となります。
随時、更新していく予定ですので、未読の方はぜひ!

2 理想の男性
不倫のライセンス 目次

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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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非公開コメント

No title

 こんにちは、危うくえろと間違えるところでした。
 小説をお書きになるんですか?ときどき見せていただきますね。

Re: No title

ひねくれくうみんさん、コメントありがとうございました。

>  こんにちは、危うくえろと間違えるところでした。

タイトルをつけた時、そう誤解されるんじゃないかと思っていました(苦笑)

>  小説をお書きになるんですか?ときどき見せていただきますね。

ゆっくりとした更新なので、気が向いたら覗いてみてください。
ひねくれた猫の物語『雨と虹の日々』も合わせてよろしく!

おかえりなさい

おかえり、セシル。

懐かしい涙を流す事、セシルは知っていたでしょうね。
セシルの未来への戦いが、走馬灯のように駆け巡っています。
今度は私も一緒に、セシルと一緒に戦えます。

分かっているのに、ドキドキする。
読み返す醍醐味を味わっています。

「セシルに、お漬物似合わないねって」

この一文、大きかったです。
これから、あんなことやこんなことが有るんだな~。
おやじっぽいギャグや、ありふれた日常の緻密な表現。
イラついたり、もどかしかったり、切ない人間模様。
そして何より、セシルの成長。

ここで感想を言い尽くしちゃいそうですね。
まだ読んでいない方に迷惑を掛けちゃう!
毎回の楽しみにしたいと思います。

分かってるけど、知ってるけど。

セシル、頑張れ!

Re: おかえりなさい

> セシルの未来への戦いが、走馬灯のように駆け巡っています。
> 今度は私も一緒に、セシルと一緒に戦えます。

ありがとうございます。
未読の方はぜひ。と書いたんですが、本当は、すでに読んでくれた方にも見てもらいたかったんですよね。
文章も、少しは上達してるんじゃないかな。たぶん。きっと。もしかしたらですが。

> 分かっているのに、ドキドキする。
> 読み返す醍醐味を味わっています。

予定では、短期間で立て続きにアップするつもりだったんですが、
想像以上に、推敲作業が難航しています。
申しわけないんですが、ゆっくりドキドキして、ゆっくり味わってください。

> 「セシルに、お漬物似合わないねって」
> この一文、大きかったです。

お。そうですか。
ここでようやく、主人公の名前が出るんですよね。
物語のはじまりとしては、もっと早い段階で名前を出したかったんですが、結局は同じ場所になってしまいました。
こういうところを見ると、また書き直したくなっちゃうんですよね。
推敲作業には、決してゴールがないということを、今回嫌と言うほど思い知らされました。

> 毎回の楽しみにしたいと思います。

こういうコメントが、作家の背中を押すんです。特に、ごんにゃんさんの正拳突きは強烈です。

はじめまして

ふらりと遊びに来させていただきました。
私は全くの趣味ですがのんびりとお話を書いているので、他の方のお話にも興味があり読ませていただきました。

不倫という重いテーマをどのように発展させていくのか、勝手ながらこれからも追いかけさせていただきます。

それと、もしご迷惑でなければリンクさせていただいてもよろしいでしょうか?

Re: はじめまして

凪さん、コメントありがとうございました。

> 私は全くの趣味ですがのんびりとお話を書いているので、他の方のお話にも興味があり読ませていただきました。

少しだけ、凪さんのブログ覗かせてもらいました。
恋愛小説を書かれてるんですね。
のんびりというわりには、お話の数がかなりありますね。
長編小説を1作しか完成させたことのない私には、それだけでもうびっくりです。
きっと、執筆歴も長いんだろうなあ。

> 不倫という重いテーマをどのように発展させていくのか、勝手ながらこれからも追いかけさせていただきます。

興味を持っていただいてうれしいです。

> それと、もしご迷惑でなければリンクさせていただいてもよろしいでしょうか?

もちろんOKです。
凪さんの作品も、これからじっくり読ませてもらいますね。

No title

お、6月ですね。早い。・・・だから6月なのですかね。ふふふ。
うんうん。新しいお話として、楽しませていただきます。

Re: No title

> お、6月ですね。早い。・・・だから6月なのですかね。ふふふ。

この作品の、連載を始めたのが去年の6月1日。
そのスタートに合わせて、物語の方も、6月にしたんです。
そして、今回の改訂版をスタートするにも、やはりこの時期がいいかな、といった感じでした。

> うんうん。新しいお話として、楽しませていただきます。

ありがとうございます。
けいさんにとっては、決して新しさはないと思いますが、
もう一度、セシルに魂を吹きこむ感じで執筆しています。
それにしても、推敲作業って大変!

No title

昨日リンクをさせていただきました。ありがとうございました。

私は長い間書くことをやめてまして、、ブログにあげているのは去年一年で書き上げたものばかりです。短編から中編が殆どです。
文章も去年の中ごろからようやく読める程度に整ってきたといった感じかもしれません。しかしそれもまだまだなんですけど。

お時間のあるときにでも、駄作ですが目を通していただけると幸いです。
片瀬様の作品も楽しみにしています。

Re: No title

> 昨日リンクをさせていただきました。ありがとうございました。

こちらこそです。
私の方でもリンクしておきますね。
気がついてみると、リンク覧がガラガラ空きでした。このあたりは、今までぜんぜん意識してなかったんですよね。
今、凪さんのブログを見て、私のブログタイトルを確認しました。これ、うれしいもんですね(笑)

> 私は長い間書くことをやめてまして、、ブログにあげているのは去年一年で書き上げたものばかりです。短編から中編が殆どです。

1年でこの文章量ですか?
私にも、そんな執筆スピードがほしい!

> お時間のあるときにでも、駄作ですが目を通していただけると幸いです。
> 片瀬様の作品も楽しみにしています。

ありがとうございます。
創作活動する上で、お互い刺激を与え合える関係になれればいいですね。
これからもよろしくお願いします。

管理人のみ閲覧できます

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正解率50%

えーと……。
ミセス深読み(仮名)さん、
以下が、答え合わせとなります。

BC=ビューティフル チャイルド=麗子
正解!

レイン=レイン、坊=雨の坊や(男の子だから)
考えすぎ!

満足度50%

了解しました!
せっかく考え付いたんだけどな~。
深読みでしたか~。
また、他を捜しましょう。
プロフィール

片瀬みこと

Author:片瀬みこと
札幌在住のアマチュア作家

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