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雪解け 3 まともな男

3 まともな男

「お父様、本日は、誠におめでとうございます」
 リビングへ入るなり、武志は深々と頭を下げた。緊張のせいだろう。一つ一つの動作がどこかぎこちない。
「そんな堅苦しい挨拶、いいんだってば」と由香里が苦笑する。「こっちこっち」と恋人の手を引き、テーブルの前へと半ば強引に座らせた。
「さあ、はじめましょうか」
 貴美子は、チラリと由香里の顔を見てから言った。慶次郎の還暦を祝う、ささやかな食事会のスタートである。母と娘とのアイコンタクトの中には、謙太のことは待たずに、という意味合いも含まれていた。
「このたびは、僕のような若輩者を、わざわざこのような席に、お招いていただき、いや、招き上げまつられ、あれ、お招き預かれられれ……」
「武志君、その早口言葉、頼むからビールを飲んだ後にしてもらえないだろうか」
 そう言って、慶次郎は豪快に笑った。
「はあ、ど、どうも、失礼いたし上げられました」と弱り顔の武志。その隣では、「さあ、早く乾杯、乾杯」と、由香里がじれったそうに言う。手には早くも缶ビールが握られていた。
「パパ、還暦おめでとう」
「ああ、ありがとうな」
「お父様、ご還暦、心よりお喜び申し上げます」
「ありがとう。君のおかげで、何だか王様にでもなった気分だ」
 すき焼きが煮えるグツグツという音。ビールを飲み干すゴクゴクという音。いずれも、この部屋に満ちた空気、幸福感を象徴するかのような響きだった。由香里と武志相手に、談笑する慶次郎の横顔は、貴美子を安心させ、同時にわずかばかりの寂しさをも感じさせた。
 謙太は来てくれるだろうか。ついつい時計ばかりに目がいってしまう。帰って来て欲しい反面、息子とどう接していいのか、という迷いも消えてはいなかった。性同一性障害についてなら、すでにある程度の知識は得ている。しかし、あくまでそれはそれ、これはこれなのだ。
「ねえ、ママってば」
 その声に、貴美子はふと我にかえった。「え? 何?」と慌てて由香里の顔を見やる。
「ぜんざい、できてるんでしょ? そろそろ食べようよ。すき焼きだけでお腹いっぱいになっちゃいそう」
「ああ、そ、そうね」
 貴美子は立ち上がり、足早にキッチンへと向かった。
 少し遅れて、「忘れてた忘れてた」と、なぜか由香里も後から着いてくる。冷蔵庫を開けたところで、貴美子もすぐにピンときた。
「あ、それね」
「そう、シャンパンあったの、すっかり忘れるところだった」
 二人は、あれこれとしゃべりながらリビングへと戻った。貴美子はぜんざいを載せた盆を、由香里はシャンパンボトルを手にしている。
「あれ?」と、はじめに気づいたのは由香里の方だった。貴美子もすぐに気がついた。ほんの少し席を離れていただけなのに、先ほどとは部屋の雰囲気が変わっていたのである。
 向かい合って座る慶次郎と武志。二人の表情に笑みはない。だからといって、険悪なムードということでもなさそうだった。
「なあに? 二人でにらめっこ?」と貴美子。
「いや、にらめっこではない」と真顔で返す慶次郎。
「わかった。肉の取り合いでしょ」と由香里。
「それよりも、ずっと大切なことだよ」とやはり真顔で返す武志。
「肉の取り合いより大切なことなんて、この世の中にあるわけがない」
「そうそう。あってたまるもんですか」
 母と娘の笑い声だけが、空しく部屋に響き、そしてすぐに静かになった。
 やがて、慶次郎がその沈黙を破った。
「さっきの言葉……。あ、あれは、つまり……」
「はい。お父様が、今想像された通りの意味です」
 武志がきっぱりと言い放った。はっきりとはわからないが、少なくとも、肉をよこせ、という話ではなさそうである。
「もう一度言います」
 部屋にいる全員が、武志を見つめたまま黙りこんだ。
「僕を、お父様の息子にしてください」
 そして全員が首をかしげた。
「武志、何言ってんの?」と由香里。
「君と、結婚させてくださいって意味だよ」
 その答えに、貴美子は思わず、「あらまあ」と、自分でもおばさんくさいなあと思う声を発していた。
「そういうことらしい」と、慶次郎が眉根を寄せる。
「なに、そのセリフ。息子にしてくれって……」
 由香里は小声でぶつぶつと言った。不満とも喜びともつかない、複雑な表情を浮かべたまま立ちつくしている。
「えーと……」
 場をとりなそうと、貴美子は、「ずいぶんと斬新なセリフね」と、心にもないことを言ってみた。
「ありがとうございます。今日のために、三日かけて考えた言葉です」
 一人満足気に微笑む武志だった。
「僕、思うんですよね。結婚とは何かってこと。結婚する当人だけが幸せならそれでいい。そんな考えじゃ駄目なんです。結婚とは、新しいお父様お母様との付き合い、その始まりでもあるんですから。もちろん僕は、由香里さんにとっての、良き夫を目指します。ただ、それだけではまだ不十分です。お父様お母様にとっての、良き息子。そうあってこその結婚だと思うんです。僕、間違ってるでしょうか?」
 そこで武志は、一度全員の表情を見渡した。そして今度は、やや言いにくそうな口調で続けた。
「謙太さんのことは、由香里さんから聞いてます。もう何年も帰って来てないんだとか。それから、えーと、例の話も……。どうなんですかね、あれって。自分の両親、特にお父様を困らせてるというか、肩身の狭い思いをさせてるというか。本人は気づいてるんですかね、そういうこと。だけど安心してください。僕はまともな男ですから。これからは、僕がお父様の息子として……」
「もう、やめて!」
 由香里が声をあげた。その叫びにも似た響きは、武志を黙らせるに十分な威力があった。
「帰って。さあ、早く」
 由香里に腕を引っ張られ、武志は助けを求めるかのような表情を貴美子に向けた。僕、何か悪いこと言いました? とその顔には書いてある。
 貴美子は、ドアを見つめたまま立ちつくしていた。その向こう側、玄関からは、「バカバカ」という由香里の尖った声と、「どうしてだよ。君のため、お父さんのためを思って言った言葉じゃないか」という武志の困惑した声が、かすかに漏れ聞こえてきた。

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4 いたずらっ子を探しに
雪解け 目次

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No title

由香里は、どうしてこんな男を選んじゃったんだと思えるほど、デリカシーのない発言ですね。
武志はこれでお父さんの心を掴んだと思ったのでしょうか。
私なら別れるなあ・・・。

でも救いなのが、謙太の家族は3人とも、ちゃんと謙太のことを想っていると感じられること。お父さんも、心の奥ではきっと案じていますよね。
家族の亀裂に重心を置く物語だと、ただただ辛いですが・・・。
肉の取り合いよりも大事件が、起こってほしくないなと、応援したくなります。

Re: No title

limeさん、コメントありがとうございます。

> 武志はこれでお父さんの心を掴んだと思ったのでしょうか。

これ、武志の完全な空回りです。
人を引き合いに出すことで、自らをアピールしようという、最も悪い例でしょうね。

> でも救いなのが、謙太の家族は3人とも、ちゃんと謙太のことを想っていると感じられること。お父さんも、心の奥ではきっと案じていますよね。

それを感じ取ってもらえるとうれしいです。
でも、それぞれの立場を考えてみると、慶次郎が一番複雑な思いを抱えているはず。
武志が指摘した、「肩身の狭い思い」というのも、完全に的外れというわけでもないんです。
このあたりは、男親の本音としてあるような気がします。
単純に、愛情=理解、というわけにはいきませんからね。

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